電脳春秋 – 〈第 10 回〉  C 言語との出会いは英語のコピー本だった


電脳春秋

執筆:H.F

〈第 10 回〉  C 言語との出会いは英語のコピー本だった

コンピュータでいろいろなプログラムを組んできたが、やはり何といっても C 言語で書いた量が一番多い気がする。ここ 15 年くらい、もっとも良く使っている。直接書いた C 言語のプログラム量は 10 万行以上だと思う。参照したり手直しや移植も含めると、 50 万行は下らないだろう。

最初に出会った C 言語の本は、第 8 回に書いた Unix 解説書の置かれていた本箱にいっしょに置かれていた。まだ和訳が出る前で、原書 ” C Programming Language ” をコピーしたものを製本したものだった。まだまだ洋書を簡単に買える時代でもなかった。

そのコピー本は、実は通産省の某研究所から持ち出されて会社に置かれていたのであるが、そのような研究所でさえ原書を何冊も買わず、コピーで間に合わせていた。そのうちの一冊を関係者がちゃっかり持ってきた本を見たのが、 C 言語とのはじめての出会いである。

とはいっても、 C 言語が動くコンピュータが手元にあった訳ではなく、また英語であったので、とりあえず読んではみたものの、使えない状態のまま何年かがむなしく過ぎてしまった。

日本語訳 『 プログラミング言語 C 』 が 1981 年に共立出版から出たころ、こちらも仕事上で C 言語を利用する機会が次第に増えてきて、結局本格的に C 言語を勉強したのは日本語の本からだった。

最初の頃の C 言語コンパイラはたいへんショボイもので、文法どおり正確に書いても、エラーになったり、無視されたり、サポートされていなかったりと、かなりひどいものだった。幸い Unix も動く環境にいて、まともな C 言語も動いていたが、パソコン用のソフトウェアを開発するために、最終段階はパソコンで動く C 言語を利用した。効率が悪くて、最後は C 言語ではなくアセンブラ言語で書き直してやっと製品化していた。

パソコン用のちゃんとした C 言語コンパイラが、アメリカでは数万円程度で売られているのに、国内では同じ製品が日本語対応も何もしていないにもかかわらず数十万円もしたので、とても買う気にならず、直輸入して使った。そのままでは日本語でコメントを書いたりするとエラーになるので、英語版でも動くようにちょっと工夫をしたりしたものだ。

それから C 言語が急激に普及し、技術系ソフトハウスでは C 言語を利用していたことが多く、どこでも 『 プログラミング言語 C 』 の本が並んでいた。私も、何ヵ所かの作業所に出入りしていて、それぞれの場所に一冊置いていた。そういうこともあってか、この 『 プログラミング言語 C 』 は売れ続け、業界では C 言語のバイブルと呼ばれ、コンピュータ関係書籍の中では二度と抜かれそうにない歴史的増刷数を誇っている。

C 言語については、開発に使うだけではなく、連載を何度か書いたり、書籍を出したりもした。そういう訳で、一番体に染み込んでしまった言語である。決して安全な言語ではないが、コンピュータを十分知り、性能と危険度を考えた上で使うなら良い言語であり、これからも長らく使われ続けるに違いない。