電脳春秋 – 〈第 21 回〉 努力と勉強だけでは限界を越えられない


電脳春秋

執筆:H.F

〈第 21 回〉 努力と勉強だけでは限界を越えられない

私は囲碁を趣味としているが、残念ながらそれほど強くはない。もうちょっと強くなろうかなと思ったのと、コンピュータ業界に足を突込んだのが同時期になってしまい、それ以来ほとんど囲碁はしていない。せいぜいテレビの囲碁解説を聞くくらいである。コンピュータさえやらなければ、もっと強くなっていたかも知れないのがはなはだ残念である。

囲碁に限らないが、大抵のゲームは、各人同じだけの手を打つが、結果は大差になってしまう。全ての情報が公開される囲碁のような頭脳ゲームでは、弱い者が偶然勝てる可能性はまったくない。

囲碁では、実力差を調整するために、下手が最初に幾つか石を置いてから打ち始める。 9 つ置く 9 子局が最大のハンデ戦で、プロと私の差は 9 子くらいで、弱い人と私との差も同じくらいだろう。 1 子の差が 1 階級の実力差に相当し、 2 レベル違えばもう殆ど勝てない相手である。

考える時間は初心者が圧倒的に長く。上手と下手が対戦しているとき、上手は、殆ど即時に打つ。下手が色々考えた手など、下手が考えている間にとっくに調べ尽している感じである。 「下手の考え休むに似たり」という諺があるが、実際にはそれ以上と思う。

囲碁は定石を覚え、実戦をある程度すれば、 3 〜 4 級程度にはなれるらしい。しかし、そこからさらに上に昇っていくには、試合数だけでは駄目で、試合の勘所を掴んでいかないといけない。決して全ての手について必死で考えているのではなく、試合の流れとか、虎視眈々と狙うとか、天王山は何処か、勝ち逃げするかなど様々な総合判断力が必要である。それらを、より強い人とやって負けながら習得する。

囲碁は、とりわけビジネスによく例えられる。将棋は王将を取るというだけのゲームだが、囲碁は対戦相手との領地の大小を競い、少しでも多ければ勝ちである。つまり部分的に勝っていようとも、終ったときに総計で少しでも広ければ勝ちである。企業のビジネスも、個々は黒字だったり赤字だったりするが、全体で成果が出ていれば良いところが囲碁と同じで、それが企業経営者の間で囲碁人気が高い理由だろうか。

以上述べたことは、ビジネスはもちろん、プログラム作成能力についても本当によく当てはまる。長時間働く人、いっぱい新しい技術について勉強する人が、必ずしも役立つプログラムを作れる訳ではない。プログラムとしては確かに手本であり、見ていても美しいプログラムが、目的にかなっているかは全く別問題である。努力しても、勉強してもうまくいかないとき、別のことを考えられる能力はとても重要だ。 「定石を覚えて弱くなり」という諺まで用意されている。

学生の頃を思い出しても、勉強時間の多さと成績との相関はそれほど高くなかった。全然勉強してないことが明らかな者が自分より上位にいたりした。この世の中では、努力とか勉強だけではない何か、 「うまくやる、要領よくやる」ことも重要だ。考えてみると、マーケティングはそれが目的だし、技術も本来そうではないか。