電脳春秋 – 〈第 28 回〉  ネパール人技術者にコンピュータを教える


電脳春秋

執筆:H.F

〈第 28 回〉  ネパール人技術者にコンピュータを教える

今の会社の設立準備中に、何故かネパール人技術者にコンピュータを教えることになった。たった 2 週間の期間に Unix と C を初歩から教えるので、簡単なプログラムが組める程度が目標になった。どこまで進めるかは、やってみないと分からない状況だった。

当時は Linux の日本語の本がやっと出版され、日本で一部の冒険好きの技術者の間で細々と普及し始めたころだったが、用意された教室にコンピュータを持ち込むには Linux が手頃だったので、借りた Windows マシンに Linux を入れて使った。当時はまだネットワークに繋ぐのが一般的ではなく、一緒に講義する大学の先生が台数分の LAN カードを購入し持参してくれたので、それを使ってネットワークを組んだ。

ところで、ネパールは世界でも最も貧しい国のひとつであり、 1 日の生活費が 100 円もあればという状態で、所得水準は日本と比較すると 2 桁くらい違う。首都カトマンズには国際空港もあり、有名な避暑地として知られているが、それを除くとこれといった産業がない。そんな訳で、物価が安いために、世界中の放浪者が集まってしまうという問題もあるらしい。

そういう国なので、やって来た技術者の中には、コンピュータを触ったこともない人がいた。そもそも、タイプライターさえ打ったことがないのだった。一方で、すでにパソコンが自宅にあるという女性技術者もいた。要するに、開始時点でとんでもない差があった。受講者は、コンピュータよりも、電子工学、航空工学関係の専門家で、それらの教育や実習もあったのだが、それらは私にはとても教えられないし、こちらが学ぶべき状態であった。

最初の日は、 Linux マシンへのログインとか、簡単なコマンドを教えて終った。エディタで簡単な文章を作ったりする練習もし、ファイルとして保存してもらった。次の日、前日に使ったパソコンと違うパソコンの前に座らせようとしたら、同じパソコンが良いと主張されたが、違うパソコンの前に無理やり座らせた。前日と同じパソコンでは、ネットワークを体感してもらえない。

パソコンはネットワークで繋がっており、どこから使っても同じファイルが扱えるように設定していたのだが、当然目の前のパソコンの中に自分のファイルは保存されると信じているので、別のパソコンから前日作成したファイルが取り出せることを示そうとしたので、わざと別のパソコンを使わせた。

それにしても、皆学習に熱心であった。予定のテーマを説明したら、問題をどんどん出して、出来たら次の問題というのを延々とやった。レベル差が激しかったため、それぞれの受講者に別々の問題を出したので、こちらも大変になったのだが、反応がすぐに返ってくるので教えがいがあった。

こちらの英語力が低いのに通訳はいなくて、その上ネパールの英語はとても聞き取りにくかった。ちゃんと教えるべきことが伝わらないとまずいので、毎朝喫茶店で、その日教える範囲の英文テキストを読み、主要な英語表現を練習したのである。こんなに真剣に英語を勉強したことは生涯何度もない。こんなにわか勉強しながらだったが、 2 週間もしたら聞き取りにくかったクセの強い英語にこちらが慣らされて、かなり聞き取れるようになってしまった。

この仕事とは直接関係ないのだが、その後ネパールの王族と結婚した人としばしば会うことになった。世の中、偶然だらけである。