電脳春秋 – 〈第 3 回〉  BASIC コンパイラ販売で秋葉原の ROM を買い尽くす


電脳春秋

執筆:H.F

〈第 3 回〉  BASIC コンパイラ販売で秋葉原の ROM を買い尽くす

パピコンという愛称の入門用パソコン PC – 6001 が、 1981 年に NEC から発売された。まだまだ記録にカセットテープが使われていた時代である。この新製品対応の自社製品の投入で、注目を浴びようとの魂胆であった。

8 ビットマシンで BASIC が標準で入っており、プログラムはカセットテープまたはオプションカートリッジ向けの ROM で提供可能であった。長いプログラムをカセットから入力するのは時間がかかるので、プログラムを ROM に入れて提供すれば、電源入れると即座に利用可能になる。少々価格は高くなるが、それでも十分な製品を出そうという事だけは勝手に決まった。

当時、入門用パソコンは「おもちゃ」と思われ、 BASIC で組まれたスピード感に欠けるゲームソフトが多かった時代である。頑張る人はアセンブラを使って大変手間はかかるが高速なゲームなどを提供していた。

そこで考えたのは、 BASIC でプログラムを書いても、非常に高速になるように、 BASIC コンパイラを作って販売しようという、当時としては意表をつく計画を立てた。パピコン一式を購入し、あれこれ調べ尽くして、可能かどうかの予測を立てた。良くわからない部分もあったが、 8 キロバイトの ROM があれば、何とか納まるのではないかとの極めて大雑把な予測のもと、開発を一人で開始した。

最初は紙の上にあれこれ書いていたが、途中からアップル II を開発用マシンとして利用した。今のパソコンと違い、まだまだ不安定であったが、数千行のアセンブリ言語のプログラムを書き上げ何とか動くようになった。動作確認のためには全国から送られてくる PC – 6001 用の投稿プログラムを使った。テストに使われるなどと夢にも思わずに作ったプログラムが大量に、なおかつ無料で入手できるということで、大変助かった。

製品としては、 4 キロバイトの ROM 2 つの構成である。 8 キロバイトの ROM 1 つの方が楽なのだが、価格に大差があって、ビジネスなので安い方を選んだ。どのくらい売れるか予測がつかなかったので、注文が入っただけ ROM ライターという装置で IC にプログラムを書き込むという作業を繰り返していた。

何だか知らないが、どんどん売れるようになり、秋葉原で ROM を段ボール単位で購入しては作っていたが、ついに国産の ROM を買い尽くしたのか、入手が困難になってしまった。やむを得ずアメリカ製の ROM を使ったら、不良率が大変高く、 2 割以上駄目だったと思う。そもそも、購入するときに、不良率何%と言われているのを購入しているのだから当然の結果であり、文句も言えなかった。当時は日本の半導体産業はアメリカを追い越すことを目指していた良き時代でもあった。

最近は、コンピュータの中を見ても、なかなか MADE IN JAPAN の文句が見られない。それどころか、不良だった部品を調べると MADE IN JAPAN だった割合が確実に増えてきた。ペーパーテストばかりで実物に触らない日本の教育、そして金勘定ばかりして物を作らなくなった日本の製造業はいったいどうなるのだろうか?