採用最前線物語 – 39.学校と社会の要求品質の差


採用最前線物語

執筆:H.F

学校と社会の要求品質の差

学生の間は、レポートや論文を書いたり、発表したり、実習、実験、ゼミなどの活動をしても、それらは学校、大学、学会という枠内での活動に過ぎない。

教官に対して色々示しても、判断する内容は、せいぜい学生が知識を修得したかどうか程度に過ぎない。プログラムを作っても、せいぜいちゃんと動くか、レポートに書かれている特徴が反映されているか程度であろう。

物作り、あるいはサービスにしても、学校でも行なわれているのだが、それらは実際の社会活動自体ではなく、そのための準備である。学校での評価基準と社会での評価基準は大幅に異なる。とくに、要求品質が著しく異なる。

学校では、信頼性をほとんど教えない。しかし、社会で使われるシステムでは、ちょっとした些細なミスが大きな事故になることは珍しくない。正しく操作しなかったから起きたミスであっても、正しくない操作を受けつけてしまうシステムの責任になることさえある。

品質検査のテストは極めて重要だ。非常識な操作をされることは珍しくない。たとえば、ゲームマシンだったら、突然電源を抜くテストなど当然で、落下させるとか、さらに過酷なテストが待っている。子供が使うマシンだったら、子供がやってしまいそうなことは全部テストしなければならない。

今は、コンピュータシステムで社会が支えられている。医療分野では、コンピュータが生命を維持している部分も多い。飛行機も、鉄道も、車もコンピュータが満載だが、こんなところでコンピュータが狂ったら死亡事故も免れない。厳しい環境で長期間使用されるシステムのテストは当然厳しい。

WEBを利用した取り引きはどんどん増えている。瞬時に処理してしまう IT システムでは、ミスは一瞬で世界を駈け巡り、被害は甚大になる。おかげで、マスコミでIT系のトラブルはほとんど毎日報道されている。

学校ではミスに対する責任は少ないが、実社会では損害弁償はもちろん、失敗に対する取り返しのつかない事故さえ待ち受けている。社会での品質要求は、最初は多分異常に厳しいと思うだろうが、それが現実だ。