フィリピンへの戦争賠償の一環として日本政府はマニラ国際空港の整備を
支援することになった。
その一つに空の安全を確保するために国際空港どうしが航空機の離着陸や
天候に関する情報を交換するシステムのコンピュータ化がありその開発
リーダに任ぜられた、チームは私も含め6名である。
システムは「 航空固定情報自動中継システム ( 通称 ATMS ) 」と呼ばれ
ミニコンピュータでは世界ではじめての試みと記憶している。
まずはシステムであるがATMS の概要は以下の通りである。
国際民間航空が安全に健全に経済的に運行されるよう国連に
ICAO ( International Civil Aviation Organization ) が設置され、
200ヶ国近くが加盟している。
各加盟国がその運営に責任を有する情報通信のための世界的規模の航空固定
通信網 ( AFTN : Aeronautical Fixed Telecommunication Network ) が
ICAO により設置されている。
ATMS は AFTN を支援するためのコンピュータシステムで隣接する各国の
空港、内外航空会社、国内の関係機関 ( 管制機関、気象関係 ) に通信回線
を接続し、これら相互間で交換する飛行計画 ( フライトプラン ) や気象~通報、
遭難通報、ノータムなど電文メッセージを自動中継するシステムである。
簡単に言えば、AFTNは飛行機が世界の空を安全に飛ぶための情報
(除く軍事関係 ) を交換するための閉鎖されたインターネットであり、
ATMS は各国に設置されるメッセージスイッチングの為のノード、いわゆる
サーバシステムである。
当時は、紙テープ付テレタイプにより人間がメッセージスウィチャとして
手動で中継していた。
人命の安全に関わる情報を最大のリアルタイムで間違いなく管制室や各国に
中継する緊張感のあるシステムである。
システムの性格上 「 ごめんなさい 」 が許されるものではない。
システム開発には今では考えられない以下の工夫を実施した。
1.主メモリが4KBと制限されているため綿密に設計しもちろん
OS もふくめ全てを 一 から手づくりした。
2.初めての外部記憶装置リムーバルディスク(2MB)が装備されており
マスタデータ、ログデータなどのデータ格納以外にプログラムのロールイ
ン/アウトを試みた。
3.全くの2系列デュアルシステムで構成、この理論はアメリカIBMの
ジェームズ・マーチンの図書「リアルタイムプログラミング」を大いに
参考とした。
4.ソースコード、オブジェクトは紙テープでありそれをディスクに格納
する形で管理した。紙テープの容量は「船で見送る紙テープ」50本位
に相当した。
5.現地でのバグ修復はほとんど16進コードの機械語のパッチ。
命令語のコード、アドレス、修飾インデックスなど全て頭で計算して
パッチした。
6.マシン語からシンボリックアセンブラ語に変換する逆アセンブラの
ツールをつくりシステムの保全性を高めた。
7.総ステップは3千〜4千程度と記憶しているがそのほとんどは記憶して
あり、まさにシステムの動きと自分の頭とが同期して動くイメージが
あった。
10ヶ月の開発期間を終えシステムが完成し、現地マニラ航空での操作教育
も終了、順調にグランドオープンを迎えた。
運用後は、評価も極めて高く、隣接諸国からの視察も頻繁であった。
まあ、年を取ると昔自慢、それも大きくする傾向があるので皆さんは話半分
に判断した方がいいかも知れない。
その後は何やかんやで延べ2年近くフィリピンに滞在し良い思い出もたくさ
ん出来た。
自分としては世の中で使われるはじめてのシステムデビューであり、自分で
考え、設計、開発したシステムが社会の役に立ち、感謝される感動を味わ
えた一生忘れえぬシステムである。
あれもこれもと何をやるか悩んでいた当時、このコンピュータ業界、それも
ソフトで生きていこうと決心したシステムでもある。