児島というのは、その名の通り、島である。
今では本州の一部になっているが、
源平藤戸合戦(1184年)のころ、児島と本州の間には藤戸海峡があり、
源氏の武将佐々木三郎盛綱は、馬で浅瀬を渡った。
不意をつかれた平家は、次の合戦場となる香川県の屋島へ逃げたのだった。
児島は、東西20km、南北10kmくらいの島で、東半分が玉野市、
西半分が児島市、その他が児島郡であった。
この島の気候は極めて温暖で、年間降雨量は1000ミリを切り、
瀬戸内でも特別に乾燥度の高い地域である。
名物は山火事で、数年に一度はある。
児島付近の山は禿山で、欝蒼と繁った森ではないが、
それでも山火事は非常に危険だ。
子供の頃から地元の自然に慣れ親しんでいる者は逃げ方を知っているが、
最近はそうでもない人々が増え、巻き込まれて不孝な事件も起きている。
さすがに山火事は規模が大きく、小規模でも何ヘクタール、
大規模だと複数の山に飛び火して何百ヘクタールも燃え、
全国ニュースになる。
瀬戸内式気候は地中海式気候に似ていて、オリーブが良く育つ。
中学校のグラウンドはオリーブの木で囲まれていた。
給食にオリーブが出てくることもあったが、どんな味だったか記憶にない。
バナナの木もあったが、小さな実しかできなかった。
乾燥を利用したものとして、塩田があった。
強い日差しの下、わずかに傾斜した塩田に海水を流して蒸発させ、
さらに笹の間に塩水を滴らし、
風と太陽を利用して濃縮し、最後は釡で煮つめて塩を作っていた。
しかし、昭和40年代中頃に廃止になった。
こんな町だったので、子供の頃、塩を買いに行くのを手伝わされた。
1袋が30kgもあり、一度に10袋以上買うので、重労働だった。
中学の隣にマラソン練習コースがあり、1周が2.3kmあった。
本番のコースは峠が3つもある9.2kmのコースで、
女子も全員走る。何とか女子には抜かれないようにと思うのだが、
なかなかそうもいかない。
練習コースの内側は塩田で、走っていると塩の泡がよく飛んできた。
塩田は海岸に沿って発達しており、巾数百メートル、長さ何キロにも及んだ。
練習コースの塩田は埋め立てられ、その中には、
JR西日本とJR四国を繋ぐJR児島駅が存在し、
市民病院、郵便局、ショッピングセンター、
ファッションセンターなどが建ち並ぶが、
まだまだ空き地だらけである。
児島には塩田王がいる。その名を野崎といい、
商店街の入口に記念碑がある。
明治20年に建てられ、個人の顕彰碑としては日本最大で、
全長18mを越し、敷地も1000坪を越す。
野崎邸という
床面積1000坪に及ぶ蔵屋敷もあり、観光地になっている。
瀬戸大橋を通る瀬戸大橋線が開通したときに
博覧会が開催されたが、それも塩田王の土地の一部で行なわれた。
というか、今も町の主要部は塩田王が所有している。

【塩田王の記念碑・日本一の規模】
中学校は、元は塩田だったために、色々な問題が発生した。
塩田は、海岸に堤防を築いて作り、塩田は海面より低くすることで、
海水を取りこみやすく作ってある。
戦後すぐに作られた中学で、
塩田に少し土を盛っただけなので非常に土地が低く、
満潮と雨が重なると、たまった雨水を水門を開けて海に流せなくなる。
ポンプもあったが、非力で役に立つようなものではなかった。
その結果、中学校が水没した。膝下程度で済むのだが、
水洗になっていないトイレもいっしょに水没してしまい、
何もかもいっしょになってしまった。
雨は少ないので、こんなことになるのは年に一度程度だったのが
せめてもの救いだった。