中学校までは、なんとか地元の公立校に通った。
そして、高校へ進学することになり、
地元の県立高校へとも思ったのだが、
同級生が多く、何もかもバレバレ状態を続けるのもどうかと思い、
都会の高校へ逃げ出すことにした。
岡山では、学区外の高校へ逃げ出す人のために、
五%(ゴパー)という制度がある。
定員の五%だけはよそ者を受け入れても良いという公式の制度があった。
都会から田舎の県立高校に進学する者はほとんど皆無なので、
この制度は、田舎者に都会(岡山または倉敷)の学校で勉強する機会を
与えるためである。
岡山では、大学よりも高校の方が就職などで重要視されることが多い。
そのとき、五%だったと言うと、特別扱いされる。
田舎から出てきて、苦労したのであろうと思われるようだ。
そして、色々なことが大目に見てもらえる。
当時、岡山市には3つの県立普通科高校があった。
どこを選ぶか考えたのだが、比較的中心部に近くて、
入試も楽そうで、勉強にうるさくなさそうな学校を選んだ。
作戦は成功し、入試で不合格になる者は2名しかいないことが分かった。
さらに、入学試験のときに1名がその場で不合格にされ、
これで合格ほぼ間違いなしと思い、安心して発表を見ることができた。
めでたく合格した高校は、
1900年開校の第一岡山高等女學校(一女)を前身とし、
戦後、第二岡山中学校(男子校)を吸収合併して共学になったが、
やはり圧倒的に女子の勢力が強い学校であった。
児島は繊維の町で、女子が圧倒的に多く、
地元の高校も高等女学校が前身である。
だから、おばさん連中は高等女学校卒で、
おじさん連中は尋常小学校卒が多かった。
今は瀬戸大橋線が開通し、児島から岡山までの通勤、通学は楽になったが、
当時はとても通えるような交通手段がなかった。
やむなく、地元を代表する山陽新聞社の偉い方の家にやっかいになった。
新聞配達はパスした。
卒業生の中には、
日本人女性初のオリンピックメダリスト
人見絹枝がおり、
中庭に銅像が建っている。
岡山は、有森裕子を始め、女子マラソンが盛んだ。
天満屋は岡山を代表するデパートだが、ここの陸上部も有名だ。
これら全ては人見絹枝の影響だろうか。

【高校の中庭にある人見絹枝の銅像】
全国初の女性国会議員の一人近藤鶴代は、科学技術庁長官として入閣、
玄関脇には石碑がある。
NHK連続テレビ小説「あぐり」のモデル吉行あぐりもいる。
とにかく、女性出身者には著名な人が多数いる。
同級生には、
木下大サーカスの社長がいて、
地元岡山で興行しているときに顏パスで入れてくれると言われたが、
行きそこねた。
吉備の国は、大和朝廷に対抗できるくらいの勢力を持っていて、
古墳や、由緒ある神社がいくつもある。
その中の代表的な神社で、日本書紀、古事記にも登場する
吉備津神社
の代々宮司だった家系の人とも同級生になった。
宿題に家系図を出されて、大変なことになったそうだ。
一度吉備津神社に行ったのだが、参詣するのを忘れて、
宮司の家で遊んだだけで帰ってしまった。
国宝を思う存分見られるのに、惜しいことをした。
その他の出身者としては、お茶の水女子大の土屋賢二教授(哲学)がいて、
ひねくれエッセーで有名だ。原田宗典の『十七歳だった!』を読めば、
私の通った高校が分かるかも知れない。
国語の時間に、読書感想文は正直に書けと言われた。
面白くない本だったら、いかに面白くないかを書けと。
こういう教え方が、このような変な作家を生んだ土壌だったと思える。
岡山の県民性だが、理論好き、悪賢い、冷淡、燃えない、利己的、
がめついなどがあり、大宅壮一は「日本のユダヤ人」と称した。
広島と比較されることが多いが、岡山県人は大阪の方しか向いていない。
でも、大阪商人には昔から扱いにくいと言われている。
県民性は悪く評価されるものだが、岡山はとくに評判が悪い。
他県にあれこれ言われるのに我慢できず、
『岡山人じゃが 〈ばらずし〉的県民性論』
を岡山ペンクラブが出版してしまうところが、いかにも岡山である。
岡山土産を列挙しておこう。マスカット(ワイン)、白桃、
つるの玉子(販売店舗が限られる)、
大手饅頭、
調布、きびだんご(近年種類が激増し把握不能)、
独歩(地ビール)、
酒一筋(日本酒、赤磐雄町米)、
ままかり(昔は貧乏人の食べ物)、備前焼、刀剣(備前長船)。
児島なら塩羊羮。
児島、そして岡山について、少しは博学になったであろうか。
来週は、瀬戸大橋を渡って、讃岐うどん、団扇、瓦煎餅の香川である。