本日で、私のココの担当は終わる。
さて,最後を飾る、とっておきのお話をしよう。
今やビジネスプロセスやネットワーク図を描くソフトウエアとして、デファクトスタンダードとなった『V』を、日本市場に初めて送り出した時の話、タイムインターメディアへ移り、パッケージ版『Kabayaki』の開発時の苦労話など枚挙に暇が無いが、私にまつわる昔話をするにあたって、『コレ』を話さずに終えるのはもったいない。それほど、貴重、というかドジな経験談だ。
A 社でCAD ソフトウエアを開発していたことで、数々の出力機器メーカと懇意にしていただいていた。その内の一社、H 社から新製品発表を兼ねた懇親会参加のお誘いがあった。懇親会、といっても豪華である。なんと、海外旅行である。A 社ではたった一名の枠であったが、上司と先輩を差し置いて、というか、お二方のご好意で私が参加することを薦めていただいたのである。生涯初めての海外渡航の機会を得ることとなった。
出発当日の成田空港。『いやぁ〜、成田空港って狭いよねぇ。』とA 社の職場で真しやかに語られているのを耳にしていたのだが、なんのなんの!! 私は、それまでこのような施設にはお目にかかったことがなかったので、あまりの大きさにきょろきょろしたものだった。
一日目、先ず、成田からSan Francisco へ移動し一日観光である。片道大凡九時間余りの旅だ。私は、どのようにして過ごしてよいか判らず、機内誌や映画にも飽き、悶々とするしかなかった。ようやく、San Francisco 国際空港へ到着したものの、案の定、強烈な時差惚けが襲い、一日観光どころではなくなった。
二日目、一気に東海岸のリゾート地Hilton Head Island へ移動となる。途中、Chicago 国際空港で乗り換えたのだが、ここで初めて、『成田空港は狭い』ということを実感することになる。空港内に新交通が走り回り一つの街と化しているではないか!!『カルチャーショック』である。乗り換えに使える時間が少なかったこともあるが、参加者が皆手荷物を持って走ってゲートを移動するはめになる。
三日目以降は何ともリラックスした日々を過ごせた。何せ、米国の高級リゾート地である。時は八月、夏真っ盛りでプールやプライベートビーチでのんびり過ごすことができた。日々の講習会や説明会も充実した内容でとても満足の行くものだった。
最終日、打ち上げを兼ねてホテルの外で食事をとH 社のスタッフが参加者を招待してくださった。翌朝、早い便で出発するので慌てて帰り支度をすることになった。旅慣れず荷物の多かった私が、講習会の資料やノベルティで更に嵩張っていたのを見かねて、流石世界のH 社、全世界を網羅する社内便があるというのでそれを使わせていただくことにした。ぎっしりになった箱をぎりぎり受付に間に合わせて、ようようとホテルを出た。
午前0 時を回った頃宿へ戻り、もう一度、手荷物を確認した。
?? あれ?? 旅券はどこへ行った?? 『渡航した時は命の次に大事なもの』と言われ肌身離さず持っていたはずなのに....
『あっ!! 』
当時の旅券は縦長だったので、ポケットに入れてもはみ出してしまう。落としたり盗られたりはしないかと心配だった私は、滞在中は、苦肉の策として、毎日持ち歩く講習会の資料を挟んでいるバインダーの内ポケットに旅券を差し込んでおいたのである。最早、バインダーはH 社の社内便に載った後。午前4 時のフライトを控え、今大騒ぎするわけにはいかないと、一先ず床についた。
翌朝、H 社のスタッフへ事情を説明し、一先ず、Los Angels へ移動することとなる。最初の空港、乗り換えと都度航空会社と空港スタッフに事情を説明し、何とか、米国内は移動ができた。さて、いよいよ出国となるそのとき、なんと、H 社のスタッフ曰く、
『我々は、米国で打ち合わせがありますので、こちらで失礼します。後は、領事館へ行ってください』
と見放されてしまったのである。帰国の目処がたつまで面倒を見てくれるものと思っていた私は途方に暮れた。初の海外渡航、初の米国である。右も左も判ろうはずがないし、どうしてよいやら皆目見当がつかなかった。唯一の手がかりは、H 社のスタッフから伺った領事館の所在地のみ、Little Tokyo である。さぁ、ここからは、持てる英語力をフルに駆使したサバイバルの始まりである。
先ず、タクシーで空港からLittle Tokyo の領事館を目指した。そこで事情を説明するも『ならば、荷物を送り返してもらえばいいだろう』と言われ、そう簡単に戻せるものじゃないことを説明すると、『必ず帰国するという証に、帰りの便を確定せよ』との仰せ。またまたタクシーでLittle Tokyo からLAX へ逆戻り。しかし、日が悪かった。何と、8月15日。お盆休みの終盤である。日本行きの便に空きがあろうはずがない。タクシーの運転手に宥められながら泣く泣くLittle Tokyo へ戻り事情を説明する。『顔写真を撮って直ぐに持ってこい。明朝、もう一度便を探せ』と、お叱りを交えながら懇々と説明を受けた。
幸い、Little Tokyo にあるホテルに宿を取ることができた。日本の上司に電話を入れ、事情を話したところ、電話口での第一声は、『馬鹿ッ』。はい、ごもっともでございます。 X( 結局、二日目も便に空きはなく、三日目にしてようやく見付かり帰国の途につけた。
職場へ戻った私に、同僚はこう言ったものだ。
『geek さんのことだから何かやらかしてくれるだろうと思っていましたが、まさかココまでとは....』
ご期待に添えて光栄でございます。 :p 結局、H 社から荷物が到着したのは一ヶ月も経ってからだった。『帰国のための渡航証』と呼ばれる特別な旅券とI-94 と入国証がついたままの旅券は、今でも、思い出として大切に保管してある。
5 日間読み続けていただいた皆様、もしかしたら、この回だけ摘んでいただいている方々、ご拝読ありがとうございます。まだまだお話ししたいことが沢山ありますが、この辺りで一先ず筆を置かせていただくとしましょう。
また逢う日まで....
[BGM "B.G.B.:WON'T BE LONG"]