早くも3日目です。
行った事がある方はご存知かも知れませんが、
家はブキティマ(BUKIT-TIMAH)という場所にありました。
余談ですが、十分慣れてからでも
夜中に頻繁に金縛りに遭ってました。
後から知ったのですが、戦時中は結構な激戦地だったらしく、
同級生や先生も結構不思議体験をしている人が多かったです。
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到着2週間後、ようやく学校が始まりました。
日本人学校に入ったのですが、小中あわせて千人以上在籍する
マンモス校でした。(でも校舎はクレメンティ校のみ)
当時、外国の日本人学校はレベルが低いみたいな噂が
あったのですが、とんでもない。
小学校でも英会話の授業が週に何度もありましたし、
体育は小学生から数百M泳がせるし、
音楽は10分くらいある曲を縦笛で吹かせるなど、
個性の強い先生たちが独自に授業をしている感じでした。
普通に教科書を流している先生は一人もいませんでした。
正直ついていくのがやっと。水泳では意識不明になった事も
ありました。
それでも子供って凄いです。
半年くらいで慣れてしまったんですから。
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今はどうか分かりませんが、
当時市内を走るバスは番号しか書いてありませんでした。
でも友人の家に行く時はこのバスだけが頼り。
25セント(当時のレートで約20円)だったので
子供でも乗れるんですが、行き先が分からない。
仕方が無いので車で行った時にバス停をチラ見して
「あそこにはあのバスが通るんだ」と必死に覚えました。
ちなみに時刻表もないんです。日本って便利な国です。
英語しか書いていないガイドブックを知ったのは
1年後くらい。500円で国を一周できるように、
子供たちだけでツアー組んで行きました。
さて、続きは次回の講釈で・・・
今日も最後まで読んで頂きまして、
誠にありがとうございました。