オセロは、明治期に「源平碁」という名前で普及していて、
オセロという名前で普及する前に遊んだような記憶もあるが定かでない。
オセロはあまり得意ではない。ひっくり返されるのが何度も繰り返されるので、
何手か先を読もうとすると大変だ。
記憶力、集中力をともに必要とする、
人間というか私にとっては楽ではない遊びなのであまり好きになれない。
コンピュータを始めて直ぐ、まだ筑波研究学園都市ができる前のことである。
電子技術総合研究所が首相官邸の近所にあって、遊びに行った。
推論研究室というところで、PHP-11で動く対戦型のオセロプログラムがあった。
盤面はカラーで画面に出るようになっていたが、入力はタイプライター型
の端末からガチャンガチャンと騒音を立てながら入力する代物だった。
実は、これが当時の人工知能の最先端の研究成果の1つであった。
礼儀として、コンピュータの相手をしなくてはいけないので遊んでみたが、
初回は操作に慣れないので負けてしまった。
2回目は、操作にも慣れたので、ちゃんと勝つことができ、
面目を保つことができ、ほっとした。
ついでに、FORTRANで書かれたプログラムをもらってきた。
もちろん当時のことであるから、紙に印刷したものをもらってきて、
その後、どういう風に作っているのかじっくり勉強させてもらった。
もうちょっと強いプログラムが当時の8ビットマイコンでも可能では
ないかと思って作り始めたのだが、
仕事に追われて挫折してしまった。
チェスは、ルールは小学生の間に覚えていたと思うが、
遊ぶ相手がいなかった。
将棋が盛んで、わざわざチェスをするのは物好きだけだった。
上京してきてから、洋書店にいくと、チェスの本がいっぱいあるのを
見つけ、読もうと思ったが思っただけで終わった。
結局日本語のチェスの本を何冊か読み、
何とか少しはできるようになった程度である。
東京に来ても、チェスを楽しむ人にはなかなか遭遇しなかった。
コンピュータチェスが盛んになり、1980年代にはマイコンを使った
チェス専用マシンも売り出されるようになり、個人輸入して楽しんだ。
というか、とてもプログラムが強くて、レベルを思いっきり下げないと
まったく勝てないのであった。ちょっと値段の高いものだと、
日本チャンピオンレベルの能力があるのも分かった。
逆に言えば、日本のレベルが非常に低いということでもある。
1997年には、IBMのチェス専用コンピュータ「ディープ・ブルー」が
チェスの世界チャンピオン、ガルリ・カスパロフに勝った。
時間の問題だと思っていたが、これでチェスは人工知能の対象では
なくなったかと思った瞬間であった。次は囲碁だなと思った。
『ディープブルー vs. カスパロフ』という本が出ていて、
コンピュータが世界チャンピオンを負かせるまでの話が出ている。
偶然にも、この本を翻訳したチェス日本チャンピオンの鈴木知道氏から
本書をプレゼントされてしまった。
それは、T大学の知り合いの研究室、
ただし工業化学系の研究室ということで危険そうで近づかなかったのだが、
ついケーキを用意してくれるという餌に釣られて訪問したとき、
その研究室の助手をしていたのが鈴木だったのだ。
まったくの奇遇でだった。
「日本では、チェスでは飯は食べられない」とこぼされていた。
同じ遊びをやるのでも、将来性を考えてやらないといけない。
プロの世界があるような遊びはごくわずかに過ぎないことを
身にしみて感じたのであった。
遊びもメジャーを選ばねば。