社長ブログ

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2008/09/26 10:00:00

私を通り過ぎたシステムたち、大手電鉄会社

人間が人間の感性で判断する、例えば「あの人は若若しい」、
「あの人は綺麗だ」「この仕事は受注できそうだ」などファジーな分野
でのコンピュータ化は1990年から5年ほどエキスパートシステムと
相まってブームとなりました。

研磨技術など職人が長年の経験によって身に付けた勘とかコツとか
なんとも言えない微妙な分野はコンピュータではシステム化できない
不可侵の領域でした。この分野にチャレンジしたのがエキスパート
システムです。

バス/列車などの運行ダイヤは電鉄会社にとって商品です。
普通/急行/特急を効率よく走らせて乗客の利便性を実現しつつ最大の
売上げを確保する。乗客がいそうも無いのに走らせたりまたその逆は
ダイヤ編成に問題があり会社に大きなダメージを与えます。

このダイヤ編成はスジ屋と呼ばれるプロが、

・駅の乗降率 ・人口増減 ・時間帯駅別乗車分布 ・車庫の位置
・売上げ目標 ・乗客の要望 ・運転手/車掌の数 ・曜日変動
・季節変動 ・お祭りなどイベント状況 ・通勤/通学利用状況 
・病院や公共施設 ・道路補修計画 ・車両数 

など様々な要件を配慮しながら経済性、利便性、安全性の高度なバランス
感覚で芸術的と表現される列車/バスダイヤを編成します。

これをコンピュータでやって見よの業務命令が下りました。
トライバージョンに東京と関西のの大手電鉄会社が乗ってきましたので
そことの共同研究の形で進めました。

これがえらい苦労の連続でした。

とにかく正解が無いのです。正解はプロのスジ屋がOKを出すことですが
何度トライしてもかないません。
条件と妥協とトレードオフが微妙にバランスされそれがどうしても数値化
出来ない。試練の毎日が続きました。

例えばこんなことです、合コンで素敵な女性を見つけてデートに誘おう
と意気込んで臨みます。

条件は、
顔:Bタイプ、容姿:Aタイプ 髪:セミロング 話し方:Cタイプ

選び方は、
・条件の重要度からウェイトをつける
・おのおの採点してウェイト係数を掛けてポイントを出す
・総合点で点数の高い順から交渉する

結果は、
・総合点数の高い順に松子、竹子、梅子さんの順

ところがあなたが選んだのは顔がAタイプで髪もショートで条件とは
違いますが、容姿全体のかもし出す雰囲気とショートカットがマッチした
梅子さんでした。
あるいは顔、容姿、髪型全部駄目ですが話し方が素敵で癒される花子さん
で、花子さんは総合点では圏外でした。

選んだ人が正解ですから梅子さんとか花子さんなのです。

最終的にはまれにスジ屋も凌ぐ結果も出る様になりました。
がしかしパーフェクトとはいかずその点は操作性を高めスジ屋の介入で
ダイヤ品質を高めることとしました。
レベル的には「半自動ダイヤ編成システム」です。

それでもダイヤ改正時のコスト負担や期日に追われていたバス会社、
電鉄会社には朗報であり100セット近くを全国に納品しました。

今日で「私を通り過ぎたシステムたち」連載は終わります。

今考えるとシステムを誕生させ送り出したのはたのは私達で、孝行息子、
不肖な息子いろいろありますが確実にいえることは生かされたのは私たち
であることです。

一つ一つ思い出がありいろんなことを学び、その度に自分自身大きくなった
気がします。

皆さまも思いをこめて良い作品(システム)を世に
デビューさせてください。

それではまたお会いしましょう。



2008/09/25 10:00:00

私を通り過ぎたシステムたち、大手新聞社

勤めていた会社でのワープロ開発の契機は新聞社からの原稿記事の
入力装置の改善が発端と記憶しています。

とにかく新聞社は大都会の真ん中にありながら人手それも専門職の
多い職場で効率化のためのIT化には積極的でありました。
新聞社は輪転機など設備が大きいので引越しとか増改築に伴って
IT化する傾向があります。

そんな中、某大手新聞社から「新聞原稿入力集配信システム」の開発
依頼がありました。マニラで集配信の経験のある我が部にスポットが
あたり私がプロマネとして仕切ることになりました。

新聞原稿は自社取材モノ、共同通信社や時事通信社などからの配信モノ
とがありそれを自社で使用すると共にパートナーの新聞社に中継して
あげます。現状は紙テープを媒体として人海戦術で行っています。
とにかく夕方に掛けてのピーク時は半端じゃなく部屋中が紙テープの
山となり大混乱、ミスが多く難儀して大事な新聞原稿の紛失や中継もれ
が多々発生していました。
これをコンピュータで自動化することが目的です。

まさにこのシステムはコンピュータ性能との戦いでした。

通信回線30本、今では考えられない50BPSとか110BPSの
低速回線ですがコンピュータ性能は現在の1000分の1、朝刊締め切り
間近の原稿が集中する夕方は鬼門でした。
遅れは即朝刊に影響します。

そこで考えたのがコンピュータコンプレクス、いわゆる4台のミニコンを
接続して機能分散、負荷分散を実現しようという画期的なアーキテクチャ
です。

1.初の試みなのでOSも存在しないので手作りで開発
2.自分以外3台が生きてるかの診断プログラムの開発導入
3.どのコンピュータが生き死にかによる機能代替わり
4.原稿の紛失を無くすためのクラスタの開発導入
5.最終的に人間が強制制御できるためのコントロールパネル装備

アーキテクチャを私と上司が提案し後はハード屋、ソフト屋、回線屋
の皆で喧々諤々、多分日本で初のコンピュータコンプレクスの
ミニコンシステムが完成しました。
ソフトもハードも初もの尽くし、平均1日1回はダウンする代物で苦労
しました。
しかしコンピュータは4台あります、どれかは2つ以上は動いていること
で事なきを得るという薄氷を踏む運用です。

それでもこの成功は情報処理学会などにも取り上げられ何回か論文、
レポートなどで学会発表をした記憶があります。

また新聞報道業界での評価も高く地方新聞社も含む50社以上の多くの
新聞社で採用されました。

それから5年ほどでCPU性能が格段と上昇したことでこのコンピュータ
コンプレクスは必要なくなりました。

今では考えられませんが当時は低速なコンピュータ性能をどうソフトで
カバーしリアルタイム業務に適用していくが大きな課題でした。



2008/09/24 10:00:00

私を通り過ぎたシステムたち、マニラ国際空港

フィリピンへの戦争賠償の一環として日本政府はマニラ国際空港の整備を
支援することになった。
その一つに空の安全を確保するために国際空港どうしが航空機の離着陸や
天候に関する情報を交換するシステムのコンピュータ化がありその開発
リーダに任ぜられた、チームは私も含め6名である。

システムは「 航空固定情報自動中継システム ( 通称 ATMS ) 」と呼ばれ
ミニコンピュータでは世界ではじめての試みと記憶している。

まずはシステムであるがATMS の概要は以下の通りである。

国際民間航空が安全に健全に経済的に運行されるよう国連に
ICAO ( International Civil Aviation Organization ) が設置され、
200ヶ国近くが加盟している。
各加盟国がその運営に責任を有する情報通信のための世界的規模の航空固定
通信網 ( AFTN : Aeronautical Fixed Telecommunication Network ) が
ICAO により設置されている。
ATMS は AFTN を支援するためのコンピュータシステムで隣接する各国の
空港、内外航空会社、国内の関係機関 ( 管制機関、気象関係 ) に通信回線
を接続し、これら相互間で交換する飛行計画 ( フライトプラン ) や気象~通報、
遭難通報、ノータムなど電文メッセージを自動中継するシステムである。

簡単に言えば、AFTNは飛行機が世界の空を安全に飛ぶための情報
(除く軍事関係 ) を交換するための閉鎖されたインターネットであり、
ATMS は各国に設置されるメッセージスイッチングの為のノード、いわゆる
サーバシステムである。
当時は、紙テープ付テレタイプにより人間がメッセージスウィチャとして
手動で中継していた。

人命の安全に関わる情報を最大のリアルタイムで間違いなく管制室や各国に
中継する緊張感のあるシステムである。
システムの性格上 「 ごめんなさい 」 が許されるものではない。

システム開発には今では考えられない以下の工夫を実施した。

1.主メモリが4KBと制限されているため綿密に設計しもちろん
 OS もふくめ全てを 一 から手づくりした。

2.初めての外部記憶装置リムーバルディスク(2MB)が装備されており
 マスタデータ、ログデータなどのデータ格納以外にプログラムのロールイ
 ン/アウトを試みた。

3.全くの2系列デュアルシステムで構成、この理論はアメリカIBMの
 ジェームズ・マーチンの図書「リアルタイムプログラミング」を大いに
 参考とした。

4.ソースコード、オブジェクトは紙テープでありそれをディスクに格納
 する形で管理した。紙テープの容量は「船で見送る紙テープ」50本位
 に相当した。

5.現地でのバグ修復はほとんど16進コードの機械語のパッチ。
 命令語のコード、アドレス、修飾インデックスなど全て頭で計算して
 パッチした。

6.マシン語からシンボリックアセンブラ語に変換する逆アセンブラの
 ツールをつくりシステムの保全性を高めた。

7.総ステップは3千〜4千程度と記憶しているがそのほとんどは記憶して
 あり、まさにシステムの動きと自分の頭とが同期して動くイメージが
 あった。

10ヶ月の開発期間を終えシステムが完成し、現地マニラ航空での操作教育
も終了、順調にグランドオープンを迎えた。
運用後は、評価も極めて高く、隣接諸国からの視察も頻繁であった。

まあ、年を取ると昔自慢、それも大きくする傾向があるので皆さんは話半分
に判断した方がいいかも知れない。

その後は何やかんやで延べ2年近くフィリピンに滞在し良い思い出もたくさ
ん出来た。

自分としては世の中で使われるはじめてのシステムデビューであり、自分で
考え、設計、開発したシステムが社会の役に立ち、感謝される感動を味わ
えた一生忘れえぬシステムである。

あれもこれもと何をやるか悩んでいた当時、このコンピュータ業界、それも
ソフトで生きていこうと決心したシステムでもある。



2008/09/22 10:00:00

私を通り過ぎたシステムたち、ビジネスショー

ちょっと意味深なタイトルで久しぶりの社長ブログを乗り切ろうと
考えています。
今回の内容は毎日連載の社員ブログと同時連載で進めみんなに見てもらう?
いや、両方同時掲載の手抜きで行きます。

IT業界にかかわり30年を超えます。
かかわったシステムの数と女性の数ではどちらが多いか?
数えたことは無いですが記憶に残るのは圧倒的にシステムです。

なんたってシステムは裏切らない、設計しプログラムしたまま、
正にそのまんま動きます。動かなくても、不具合が出てもそれは
全部自分が悪い。システムに何ら責任は無いのです。

私の人に見せるシステムのデビューは晴海でのビジネスショーです。
今でこそ余り活気が無いようですが高度成長期、いけいけどんどん、
複写機、FAXさらにコンピュータがオフィスや製造現場、制御などで
実用化し始めた30年前はモーターショーをも凌ぐ活況のあるものでした。

大手の総合電機メーカーに勤務していた私は会社の方針でアメリカより
OEM供給された日本初のミニコンピュータのデモプログラムを作成し
ビジネスショーに出展を命じられました。

主メモリー2KB(2048バイト、2MBじゃない)、
外部記憶装置なし、後はテレタイプみたいな印刷と紙テープ付の
入出力装置だけ、性能は今の電卓並み。
当時はこれが素晴らしいコンパクト化された最新鋭のコンピュータでした。

そこで考えたのが誕生日を入れるとその年のカレンダーが出る万年暦、
モナリザの絵(数字とアルファベットで組み合わせ)、そしてπ(パイ)の
千桁計算です。3.14・・・・・・・・が1000桁です。

この千桁計算が受けに受けました。
手でやったら数ヶ月は掛かりだれも1000桁なんか見たこと無いので
みんなその結果を欲しがりました。待つための長い列ができました。
計算の理屈は判っていたのですが浮動小数点演算はなし、加減乗除と
シフト演算でこなさなければなりません。しかもメモリーも少ないので
効率よくプリントアウトしてメモリーに空きを作る必要もあります。
計算に5分はかかります。
その間みんなしーんと静かにランプのピコピコを見ながら待ち続けます。
そしてタイプライタに数字が出始めると一様に「ほー」と唸ります。
印字終了まで約15分でその紙を持ち帰ります。
コピーしたものも揃えてありましたが皆は計算し出力したのを
欲しがりました。そのためインクやリボンの減りが激しく難儀した思いが
あります。

一般ではコンピュータを見るのがはじめての人がほとんど、複写は青焼き、
腕に布袋を巻いて事務作業する皆さんの父上の若かりし頃の一こまでした。




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