2007/01/31 09:00:00
問題です。ここに正方形があります。これをいくつかに分割して再び組み合わせてもとの正方形の半分の面積の正方形を2つ作ることはできるでしょうか?
これは簡単ですね。一つの方法として次のようにすればOKです。
では次の問題です。ここに球があります。これをいくつかに分割して再び組み合わせてもとの球と同じ体積の球を2つ作ることはできるでしょうか?
できるわけない!考えるまでもなくそんなことができるはずもありません。もしできたら分割前とあとでは体積が2倍になってしまいます。・・・と最初は思うでしょう(今でも思いますが)。しかし、なんとこれが可能であるという定理があるのです。
別にインチキを行うわけではありません。組み合わせた後の球が中がスカスカだとか鏡に映すとかそういうとんち的な答ではないのです。
バナッハ=タルスキーのパラドックスと呼ばれるこの定理は現代数学を大きく発展させることになった2つの概念「無限」と「選択公理」の必然の結果として(警鐘の意味で)出てきた定理なのです。
実際にどうやるのか?実はこの定理は「・・・することが可能である」と証明するのですがその方法を実際に示してはいません。実際に示さずに認める、これが選択公理です。ですからこの定理では具体的な方法を示されません(できるわけないので)。
イメージ的には球を分割するときに無限に複雑な図形に分割します。分割されたピースのギザギザをドンドン細かくしてその作業を無限に続けるのです。こんなことをしたらそのピースは通常の物体ではありえないものになるので、パラドックスが完成するのです。
だったら「選択公理」「無限」を認めなければいいのですが、数学のほかの部分を認めるのであればこれを認めなくてはならず、現代のほとんどの数学者はすばらしい高台からの眺めを捨てるくらいならこの矛盾に満ちた定理を受け入れることを選んだのです。
選択公理と無限は現代数学の特徴といってもいいかもしれません。この概念からたくさんのパラドキシカルな定理と豊穣な数学の大地が広がっているのですから。
2007/01/30 11:00:00
「この文は間違っている」
さてこの文は正しいのでしょうか?正しいとすると文は間違っていることになって正しくありません。しかし正しくないのだとすると結局正しいことを言っていることになり最初に戻ってしまいます。
これはウソつきのパラドックスと呼ばれ知っている人も多いかと思います。しかし100年ほど前に数学はこのパラドックスの数学版により致命的なダメージを負いました。神を畏れず天まで届こうとするバベルの塔を建てていた当時の数学者たちはこのパラドックスが塔の土台を揺るがすことに気がついたのです。
当然当時の名だたる天才たちがこの危機を救おうとして土台の再構築をめざすのですが、そこにゲーデルという才能が現れ、ついには土台を完全なものにすることはできないとこと証明してしまったのです。
この定理にはシビれました。数学の塔の不完全さをその数学を使って証明してしまうのです。この一見矛盾に満ちた証明が一分の隙もない厳密な証明であることはただただ驚嘆するだけです。
ゲーデルの証明は誤解を承知で書くと次のようになります。
- 数学は証明可能なものだけで構築する
- 証明可能というのは証明を文書に書き下せるものをいおう
- 文書にできるのであればそれはコード化(数値化)できるはずだ
- 数学の対象には数値が含まれているのでこれで数値を使って数値を表現する手法を手に入れた
- 自己言及ができればごにょごにょしてウソつきパラドックスの変種が作成可能である(ここが証明のミソ)
- つまり数学の土台からウソつきパラドックスを消し去ることはできない
証明などというものをまじめに数学の対象にしてしまうこの発想にシビれました。またこの考え方がコンピュータソフトウェアの基礎につながっているのもIT業界の人間としては興味深いとこです。
ゲーデル・エッシャー・バッハという本があります。この記事を読んで興味をもたれたらぜひ一読をお勧めします。ゲーデルのみならず音楽、生物学、禅の奇妙で素敵な知識がちりばめられています。
2007/01/29 00:00:00
「数学と聞くと鳥肌が立ってめまいがしてくる」とよく言われます。しかし数学というのは高校までで習ういわゆる算数とは違うものなのです。どのくらい違うかというとサッカーでドリブルの技術と戦術理解が違うのと同じくらいの違いがあります。
ですから算数が苦手だった人も数学の世界というのは楽しめるのかもしれませんし、高校時代まで算数が得意だった人が数学を楽しめるわけではないのです。実際私がそうで高校まで数学が好きで大学も数学科に入ったのですが、大学の授業が今までとあまりにも違うので一気に数学嫌いになってしまいました。
高校までで習う算数は問題があって答えを出すという形式をとります。つまり日常生活で応用できるような技術を学ぶわけです(日常生活になんて使わんという意見もあるでしょうが)。ようは技術なので練習すればうまくなるし数独などのパズルを解いているのと同じように問題を解くことに一種の中毒状態になれるのです。(これまた反論あろうと思いますが)
しかし大学に入って数学を学ぶと不思議な体験をすることになります。「・・・で何を覚えればいいんだ?」「・・・この定理をどう使うの?」と何のために学んでいるのかよくわからなくなるのです。そして前に学んだことを土台にさらに抽象的な定理が構築され自分がどこに向かっているのかいっそうわからなくなるのです。
しかし数学の楽しさはまさにここにあります。新しい概念を理解してその上にさらに新しい概念を積み重ねていく。それを繰り返すことによって巨大なバベルの塔のような数学の建築物ができあがり、上のほうの階から下を見下ろすと絶景が広がっていることにきづくのです。
これだけ読むと「うげー」となってしまうでしょうが何も自力でこのバベルの塔を登る必要はありません。もちろん自力で登ったほうが何倍も楽しめますが、エレベータで一気に上っても絶景の一部は堪能できます。最初に絶景をみてからそれを自力で見るためにちゃんと登りなおすのもよいでしょう。というよりそうでもしなければとても上る気力が起きません。
あぁもっと若いときにこのことに気づいていたら大学時代を無駄にしなかったのになぁ
2007/01/26 01:00:00
こんにちは。ごだっくです。
今日で5日目、私の回はラストです。
ご静聴?ありがとうございました。
ある技術系雑誌の特集記事「トップ・エンジニアの日々」というのを読んでしまいました。皆言う事がカッコイイです。こうなるには楽しんで仕事をするのがコツと見ました。まぁ私はせいぜいモップ・エンジニア程度でしょうか?さっき床にこぼしたコーヒーでも拭いとけと...。
そうした非凡なエンジニアな人達の秘密は、TIM社内にスゴイ方がいますのでおいおいそちらから盗ませていただくとして、平凡な私が最近直面している壁の話などを書いて、リレーブログ担当最終日のネタとしたいと思います。
壁
タバコを吸う私は、たまにTIM社の7Fの眺めのよい非常階段でプカプカ休憩しているのですが、そこからは六本木エリアの2本の巨大ビルが見えます。「六本木ヒルズ」と「東京ミッドタウン」の2つです。
視線を右に移すと、西新宿エリアにはもう30年以上も前に建てられた高層ビル群があります。高さとしては六本木のビルと同じくらいと思うのですが、どれも皆似たような形。高くする事にだけ集中したら皆同じになりました!そんな感じです。
ふたたび六本木の2つのビルを見るとかなり個性的な形。地上から頂上まで通る斜めの壁があったり、高層階の途中から形が変わったり、壁によって色使いが微妙に違ったり、素人目にも随分と使われてるノウハウ、技術、求められるレベル、色々と違うように思えます。目に見えない基礎や骨格の重要な部分はもっと違いそう。
いま私が働いているこの業界は、高層ビル建築の何倍の速度で革新の進む世界でしょうか...。2倍?5倍?10倍?我ながら恐い世界の仕事に就いてしまったなぁと思います。
がむしゃらな勉強や仕事で手持ちのコマだけ増やせば良い年齢はとうに過ぎてしまい、ここから先は少ない手持ちのコマを組み合わせて渡っていかなければならない。そんな数少ない手持ちのコマが陳腐化してしまったらどうする...?
最近はそんな事を寝ながらぼんやりと考えています。
ぐっすり眠れます。笑
以上です。
リレーブログの執筆という楽しい機会を与えてくださったTIM社の担当者の皆さまに感謝です。
それではまた。
2007/01/25 01:00:00
こんにちは。ごだっくです。
昨日までの思い出話はおしまいにして、残りの2日間はぼんやり最近考えていることでも書いてみようと思います。
一流のニート
サッカーの元日本代表で昨年引退した中田選手、今は世界中を旅しているのだそうですね。ご本人がそう言ったのかどうかは分かりませんが、この旅の目的は「自分探し」なんだとか。サッカーの世界で超一流の選手にまで上り詰めたというのに、それを捨ててまた別な道を探す。自分の稼いだ金で、世界中を巡りながら。
「自分探し」というキーワードは微妙なもんで、言う人によっては(てか大半がこっちかな?)単に仕事がうまく行かないとかで辞める時の言い訳ぐらいにしか聞こえない言葉ですが、中田氏の場合はある分野をとことん極めた人ですから、単純にかっこいいなぁと思ってしまいますねぇ。
出来る事なら、自分も成功を手にしてからあっさり「第二の人生」とか言って海外に。東京に置いてきたビジネスが勝手に回り、お金の心配の無いままリゾート暮らし。ってこれじゃあ「金持ち父さん」じゃないですか!それはちょっと、イヤ...。笑
コンサルタントの元同僚
私と同じタイミングで前職場を離れ、ちょっと名の知れたSIerに転職をした元同僚がいるのですが、その元同僚と先日飲んだんです。書籍の執筆をされている人も多数在籍している会社なので(その辺はここTIM社もスゴイ人揃いですけどね)、その辺の内輪話も聞いてみたくて。
「もうウチはSI案件ほとんどやんないよ。
やると火が付くからね。コンサルだけやってるよ。」
との事。コンサルやってる会社がSIやると火が付くってなんか、あれ?というツッコミは抜きにして、味気ない、けどきっとそれも正解なんだろうな。そんな複雑な思いがしました。その元同僚もコンサルタントとして複数の客先を忙しく渡り歩く毎日で、充実した様子でしたからいいんですけどね。
私の場合は異業種含めてドロ臭い現場仕事ばかりしていたもんですから、染み付いちゃった感覚なんでしょうね。実作業者でないと仕事した気にならないと思います。だからコンサルタントはきっと出来ないでしょうねぇ。(誰もやらせない?)
それでは本日はこの辺で。
2007/01/24 00:00:00
こんにちは。ごだっくです。
毎日、思い出話ばかりで恐縮です。
おこぼれは蜜の味
パソコン屋の倉庫番を辞め、正式にデザイン屋で働く事にはなったものの、そこではなかなか自分の役割を見つけられませんでした。唯一の特技である力仕事はもはやク○の役にも立ちません。
この当時1996年、一般のWebサイトの大半はまだまだ規模も小さく、シンプルなものでした。画像の無い文字だけのWebサイトもまだ多数、いかに軽く作れるかが勝負、そんな頃です。この敷居の低い時代にWebの仕事に関われたのは幸運でした。
Web製作の仕事も今ほど分業化が進んでおりませんでしたので、デザイン屋の仕事はデザインだけではありませんでした。デザイン画像からHTMLを起す作業、telnetでのコマンド操作、Apacheの設定、DNS情報の書き換え等々、そうした今の仕事に繋がるもろもろの作業を、デザインの出来ない私が引き受けるようになりました。デザイン屋の仕事としてはあくまで「おこぼれ」でしたが、これがすごく楽しい。やる事全てが新鮮な毎日でした。
ちょっと高度なCGIプログラムになるとさすがに外注でしたが、ほとんどがPerlでしたので、納品されたソースを読んで自分がイメージ出来なかった部分を盗み、次から同じようなプログラムは自分で書く。そんな調子でサーバ側のプログラムを書く様にもなりました。プログラムのプの字も知らない輩の書くソースでしたから、品質は二の次でしたけどね。(誰かに怒られそう)
今のWebの周辺事情と言えば、新しい技術が生まれては消え、覚えては忘れ、次にどちらへ進むのが正解か見当もつかない複雑さです。今の時点にあの時の青年として戻ったら、きっと他の仕事を探すしか無いでしょうね。「働いたら負け」とか思っているかもしれません...。笑
そんなこんなでその頃から早10年。今はタイムインターメディアという会社の隅っこで、こっそり何食わぬ顔して働いております。
それでは本日はこの辺で。
2007/01/23 00:00:00
こんにちは。ごだっくです。
昨日から引き続き、過去の仕事ネタです。
倉庫番 for Macintosh
もう力仕事はうんざり。でも他に出来る事は何も無い。さんざん考えて、次の仕事として選んだのは何故かパソコン屋(の倉庫番)でした。1995年、Windows95でパソコン新時代の幕開けの年です。
しかし本流からはいつも縁遠い私、拾われたのはMacintoshの専門店@秋葉原。マックのマの字も知らないので店頭の販売員はダメ。でも力仕事は出来るので倉庫係として雇って貰える事に。店頭や通販で売れた商品を梱包して配送したり、入庫した商品を倉庫に運び入れたり、お持ち帰りされるお客様の車まで商品を運んであげたり、まぁ水飴3tに比べたらちょろい仕事でした。
倉庫番の仕事にも慣れてくると、店頭が忙しい時にはたまにヘルプで呼ばれる様にもなりました。まぁヘルプと言っても「レジ横に立ってるだけで良いからネ」という子供のお使いよりひどいもんでしたが。
でもレジ横で店内を観察しているだけの仕事も、倉庫番にとっては楽しいもんでした。お客様とお話している販売員さん達、同じように応対をしているようでも、最後にちゃんとお買上げに結びつけられる上手い人と、そうでもない人がいます。Macは高いお買い物ですから、お客様も販売員の対応の良し悪しをシビアに見極めているのかも?恐い事です。たまに倉庫番も販売員のフリをして接客にチャレンジしてみますが、いかんせん知識が無いので喋る事はまるでデタラメ。ありえない販売員です。(まぁ中身は倉庫番ですからね...)
わらしべ青年
次の転職に繋がるラッキーもレジ横でした。お客様が領収書をきるのに出して、そのまま忘れて行った名刺。そこに刷られたURLを何気なくメモって自宅のMacでアクセスすると、見た事も無い程クゥールなホームページ。なんか文字がチカチカ点滅しとるぞ???どうやらWebやCD-ROMの製作をしているデザイン会社らしい。ふむふむ「お気軽にお問い合わせください。」とメールアドレスまで書いてある。お問い合わせしちゃうか...。
「拝啓。ホームページをひょんなきっかけで拝見いたしまして、かっこいいなーと感動した次第です。ぜひとも働かせていただけませんでしょうか?」
当時こういう不躾なメールをよこす輩は少なく、よほどインパクトがあったのか、そのメール一通で本当に会社に呼んでいただき、バイトまで出来る事に。この頃Macを買って3DCGをちょろっと齧っていたのが幸いした様です。それから暫くの間は昼はパソコン屋、夜はデザイン屋の掛け持ち生活となりました。さらに幸運は続き、誰もがご存知「ぷよぷ○」のWindows95版のパッケージに、その頃倉庫番の私がバイトで作成した3DCGが採用されたり。珍事件というか世の中って分からんというか。
「人生って意外と簡単じゃね?」
でもやっぱりそうそう世の中甘くはないですね!
それでは本日はこの辺で。
2007/01/22 00:00:00
こんにちは。ごだっくです。
本日からの5日間、このブログを担当させていただきます。
よろしくおねがいします。
私、生まれも育ちも東京杉並区でございます。兄弟はおりません。ヨメさんと猫一匹と共に、都会の片隅で気楽な生活を送っております。趣味は海外旅行、特に台湾が好きで、年に数回行くほどハマっております。
所属はシステムリニューアル部といいまして、お客様の既存システムを、お客様のご要望どおりにキレイにブラッシュアップしてお納めする、というのが仕事の部署です。まぁ難しい仕事という事もあり、いつまでたっても上達しないヘッポコエンジニアですが、楽しく充実した毎日を過ごさせていただいております。佐藤社長を初め、上司や同僚の皆さまには大変感謝しております。
さて今でこそこんなキレイでオサレなお仕事をさせていただいておりますが、以前は全く毛色の違う仕事をしておりました。手持ちのネタもありませんので、その恥ずかしい過去を少し、査定に影響しない程度に(苦笑)さらしてみる事にします。
水飴まみれ
先ほど東京育ちと書きましたが、ヤングな青年時代の一時期、ある恥ずかしい事情により二年ほど群馬県富岡市という田舎町に移り住んでいました。そこでしていた仕事は、若さと体力だけで手っ取り早く稼げるトラック運転手でした。
担当していたのは群馬<->東京間を早朝から夕方にかけて往復する中距離便、積荷は主に水飴です。一斗缶ってご存知でしょうか?ペンキ屋によくある四角い缶容器ですが、あれに水飴が入るとものすごく重いんです。20kg位。それを150缶、2tトラックですので明らかに積載オーバーですが構わず夜のうちに積み込んで、翌朝までに東京の菓子工場へと運ぶのが仕事です。
降ろす先は倉庫の2階なのですが、エレベーターが無いので1缶ずつ手に持って上げていきます。今思うととても人間のやる仕事ではありませんが、途方に暮れていたところで誰も手伝いに来てはくれません。しぶしぶ腰を上げて、目の前の水飴缶の山を切り崩して行きます。そんな仕事を何の疑問も持たずに二年間、ほぼ専任で続けておりました。
ウブな青年も2年の内にさすがにそんなのが嫌になり(遅いだろ...)、夜逃げ同然で群馬を逃げ出し東京に戻ったまでは良いのですが、お察しの通り、若くして本格的に働いていた訳ですから体力以外の武器はありません。逃げた先もまた同じような運送屋です。そこからまたさらに2年、運ちゃん稼業を続けるしかありませんでした。
「一旦悪いサイクルにはまるとなかなか抜けられない。」
大事な将来へのレールと引き換えに、学んだのは唯一これだけ。本当に高い授業料でした...。笑
それでは本日はこの辺で。
2007/01/20 00:00:00
こんにちは。
最近、視力の悪さに愕然としている新人君です。
おかげで「どんどん目が良くなるマジカル・アイ(mini)」という本が会社の机の上に常設されています。
きれいな人を見ようとすると目が良くなるらしい、という情報を聞きつけ実践しようとも思っているのですが、美人は三日でなれるそうなので、ほぼ日替わりで別の美人を見つけないとだめなようです。それはそれで面倒です。
さて、ブログの場所は異なりますが、先日「初心者」さんが書かれていた様に、文章力の必要性を身にしみて感じています。どのくらい感じているかというと、休日に図書館で『理系の作文能力』やら、『日本語の書き方』みたいな本を借りてきてザッピングしてしまうほど感じています。私の場合、説明が長いきらいがあります。むだな説明をするタイプですね。ある程度読んでみて分かったことは…
短文で書くのがコツのようです。
早い話がKISS(Keep It Simple ,Stupid)です。
もし文章で悩んでいるようなら試してみてください。
2007/01/19 10:00:00
とうとう最終日になりました。
最後の今日は本について書いてみようと思います。
今まで書いてきた内容から、私が本好きであることはなんとなく気が付いていることでしょう。実際、私は本が好きです。三日目のところで書きましたが、技術書だけで約300冊ほどの蔵書があり、その他に小説がやはり2,300冊程度あります。小説の類は一度処分したのですが、また買い足していきこの数字になりました。技術書は社会人に成って以降、多いときは月数冊のペースで購入し続けてきた結果です。
今でこそ本が好きで、通勤の行き帰りでほぼ毎日文庫本を読んでいますが、小学生時代は正反対で全く本は読みませんでした。中学に入ってしばらくしたころ、ふと何かのきっかけで所謂ライトノベルを読み出したのを気に本好きになりました。それ以降、当初のライトノベルだけでなくミステリや歴史小説なども読むようになりました。また本ではありませんが、文章を読むのが苦にならなくなった、というよりも一種活字中毒になったため毎日新聞を隅から隅まで読む習慣が身に付きました。最近は時間が無いので隅から隅までとはいきませんが、毎日読むことは変わっていません。
本を読むのはまずそれが面白いと感じるし好きだからなのですが、それ以外にも理由があります。
一つめは、自分以外の考え・ものの見方を知ることができると考えているからです。
他の人からどう見られているか判りませんが、自分には創造力がないと思っています。本が好きだったこともあり自分で小説が書ければと思った事もありましたが、自分の創造力の無さに気が付き、絶望とまでは行きませんが自分の才能の無さに悲しさを覚えました。その時に思ったのが、創造力の無さを知識の量・視野の広さでカバーできないかということです。一から造り上げることはできなくとも、すでにある知見を元にあまり人が思いつかないことを作ることはできるのではないかと思ったのです。
この考えが正しいかどうかは今の私にも判りません。なぜなら、ある時点でこの考えはどうでもよくなってしまったからです。今でも創造力が欲しいと思うことはありますが、昔ほど強い思いはなくなってしまったのです。
ですが、自分には無い考え・視点を求める為に本を読む、また自分とは異なる視点などを得る事が楽しいという点は昔と変わっていません。
二つめは、主に技術書など実用的な書籍に関してのことになりますが、誰かが解決済みの問題であればそれを参考にした方が自分で一から解くよりも遙かに早く確実だと思うからです。書籍に載っていないことこそ、頭を使う必要があるし、そこにこそ労力をかけるべきだと思うのです。
今目の前にある問題についての解決法が載っている書籍がありその書籍を購入することで容易に解決することができるならば、それは時間をお金で買うこととほぼ同義です。書籍代で時間が買えると考えれば、それは私にとってとても安い買い物なのです。そしてそれは同時に知識を買うことでも有るのです。
このように考える様になったのには、社会人に成ってからの苦い思い出があるのですが、少し長くなるので割愛します。
なんだかんだ理屈を付けてみましたが、根底に有るのはとにかく本が好きなのだと言うことです。
小説であれ技術書であれ、書き手の想いがそこにはあります。私はその書き手の想いが有るからこそ、本が好きなのかもしれません。
なんだか纏まりが悪いですが、最後に私の好きな小説家の言葉で終わりたいと思います。
「小説が書かれ読まれるのは、人生がただ一度であることへの抗議からだと思います」
北村薫
2007/01/18 00:00:00
昨日で自己紹介を兼ねた私の略歴紹介はお終いです。
今日は最近の私の興味のある分野であるソフトウェア工学につて書いてみようと思います。
ソフトウェア工学と言って皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。
大多数の人はコンピュータを使った複雑な計算をいかに早く終わらせるか、というようなことを思う浮かべるかもしれません。ですが、このようなコンピュータをいかに効率的に使うかという事やコンピュータで何か新しい事ができないかということを研究する分野はソフトウェア工学とは呼びません。電算機科学やコンピュータ科学と呼ぶのが一般的でしょう。
では、ソフトウェア工学とは何を研究するのでしょうか。噛み砕いて言うと、それは如何に安く、早く、壊れない、本当に欲しいソフトウェアを作るのにはどうしたら良いのか、ということ調べ体系的にまとめあげることです。
そうです、まさしくソフトウェア開発という仕事に直結した学問分野なのです。
ですが、なぜか日本ではあまりソフトウェア工学が普及していません。なぜなのでしょうか。
私は、状況は違えど先日のミンツバーグ先生ではありませんが理論と現場との意識の乖離があるのではと考えています。ある画期的な手法がどれほど素晴らしいものであっても、実際に使いこなせなければ現場では意味がありません。高尚な理論よりもまず使える事が重要なのです。
「こうすれば必ず効率はよくなるので、良いから従うように」と言ってトップダウンで普及させる方法もなくはないでしょうが、実際に使う人が必要性を認識し自分から使うようにならなければ定着させることは難しいでしょう。
また、理論は一般化されたことしか説明されません。いま自分がいるプロジェクト・組織に対してどのように適用すれば良いかまで説かれたソフトウェア工学の理論は(自分の勉強不足かもしれませんが)知りません。現場の環境は千差万別。たぶん導入方法の一般化は難しいでしょう。
結局のところ一番苦労するのは実際に現場に普及させようとするマネジャー層なのかもしれません。
私も幾つものソフトウェア工学の書籍を読みましたが、その書籍に載っていた方法を現場に適用させることに成功したことはありません。それなので、ソフトウェア工学に興味を持った数年前よりの密かな目標は、少しでもいいので理論を現場で試して、仕事の効率を上げていくということです。頭でいくら理解していても実際に使って良い結果を出せなければ意味がないのですから。
さて、今日も書籍を紹介していきたいと思います。
今回はBlogの題にもなっている「ソフトウェア工学」の名著を取り上げていきます。ただの名著ではあまりおもしろみが無いので、私の蔵書の中から、残念ながら絶版になってしまった名著を二冊紹介します。
まず一冊目はケーパーズ・ジョーンズ氏の「ソフトウェア病理学 −システム開発・保守の手引−」です。
タイトルに「病理学」と有りますが決して医療書ではありません。ですが医療分野の「病理学」の考えを拝借し、ソフトウェア開発における問題点などを病理学風に分析し、問題について原因、症状、対処方法などを列挙しています。あまりしょっちゅう読む類の書籍ではありませんが、記述されている問題(病気)の名前を覚えておき、実際に何か問題が発生した場合に対処方法を引いてみる、という使い方をすると良いかもしれません。
著者のケーパーズ・ジョーンズ氏、翻訳(監訳)者の富野壽氏、その富野壽氏が所属する構造計画研究所は、この手の硬い理論書に多く携わっています。あまり数がでないと思われるのにもかかわらず、理論書の出版して頂けている事に一人のプログラマとして、またソフトウェア工学を研究する身として感謝します。
二冊目はエドワード・ヨードン氏の「ソフトウェアの構造化ウォークスルー」です。
エドワード・ヨードン氏というと、ソフトウェア開発に携わる人ならば書籍「デスマーチ」の著者としての方が有名かもしれません。この本は、あの「デスマーチ」のヨードン氏の著作なのです。といっても、「デスマーチ」の内容とはまったく関係ありません。題名にあるように「構造化ウォークスルー」についての解説です。
「構造化ウォークスルー」と聞いてピンと来る人は少ないでしょう。そもそも日本語の訳し方にちょっと問題があるからです。「構造化ウォークスルー」の部分は原題で「Structured Walkthroughs」となっているので、「標準化(定型化)されたウォークスルー」としたほうがわかりやすいでしょう。「ウォークスルー」もちょっとなじみのない単語かもしれませんが、「レビュー」といえばわかる方は多いのではないでしょうか。厳密に言えば手順の厳格さなどが違うようですが、ほぼ同義と捉えて問題ないでしょう。つまり、「ソフトウェアでの定型化されたレビュー」技法についての解説書、ということになります。
レビューの重要性は広く認識されているとは思うのですが、スケジュールが逼迫してくると真っ先に省略される部分でもあります。ですが、きちんとレビューなどを行い品質を保っておけば最終的にはコストもスケジュールも、レビューなどを省いてしまうよりも安上がりで早くできるとソフトウェア工学一般では認識されています。そしてレビューはほぼあらゆる工程で実施可能かつ安価な品質確保のための手段なのです。レビューの最も厳格な手法であるインスペクションは、品質向上のための手段として最も費用対効果がよいと言われています。
ですが、なぜか日本でレビューを取り扱った書籍はあまりありません。私が持っている書籍でもレビュー技法を専門に扱ったのはこの本を含めて3冊ぐらいでしょう。そして「ソフトウェアの構造化ウォークスルー」はそれらの中で一番古い書籍なのです。日本語版の初版は1981年です。なんと20年以上も前に出版されたものなのです。
そんなにも古い書籍が今読んで、果たして意味のあるものなのでしょうか?驚くことに内容はまったく陳腐化されていないのです。むしろ最近出版されたレビューの本では指摘されていない、レビュー技法の実際の導入に際しての注意点など、事細かに指摘されているのです。たった167ページと非常に薄い本でが、内容はきわめて濃いものとなっています。品質管理を勉強した人に是非読んでもらいたい一冊です。
以上二冊を紹介しましたが、冒頭で述べたとおりすでに絶版のため入手困難です。気軽に内容を確認できない本を敢えて取り上げましたが、これには理由があります。
一点はなかなか手に入らないものでも、頑張って手に入れて読むだけの価値があるだろうと思ったこと。二点目は副次的なものですが、絶版になってしまうような古い書籍であっても、現在流通している書籍以上にすばらしいものがあることを子ってほしかったから。そして三点目は、優れた書籍であっても絶版になってしまうことを知ってほしいからです。
絶版になってしまうことを個人の力で止めることは、まず無理でしょう。ですが、出版社に多少なりとも働きかけることはできなくはないはずです。最近では「復刊ドットコム」などで名著の復刊を呼びかけていたりします。実際、「ソフトウェア病理学」は復刊の呼びかけがなされています。
埋もれてしまった名著がまた日の目を見る日が来るかどうかは皆さんにかかっている、かもしれません。
2007/01/17 10:00:00
三日目の今回は、現在勤めているタイムインターメディアの事を書いてみます。
昨日書いたように、そもそもタイムインターメディアは二度目の転職、つまり三社目の会社ということになります。一度目の転職の際の会社は自分で探しましたが、この時はは違いました。
今も同じ部署で働いているMさんの紹介でした。でも、私とMさんとは最初直接面識がありませんでした。どうして知り合ったのでしょうか。実は、一社目の時の同期の友人の先輩に当たるのがMさんで、その友人経由でMさんを紹介してもらったのです。偶然か必然かはわかりませんが、奇妙な縁でいまの私がある訳です。
さて、入社して驚いたこと。
その一。本が多いこと。
私自信本が好きで、仕事関係(とあまり関係ない)の技術書 が入社当時で数十冊から百冊程度持っていました(この辺のことは後日詳しく書きます)。前の職場ではこれだけ持っている人は周りに一人もいませんでしたが、今も私の上司であるN部長はそれ以上、また別の先輩社員も私よりも遙かに多くの書籍を持っていました。それまで自分で書籍を購入し勉強している人をあまり回りで見かけなかったので、この蔵書量は本当に驚きでした。
その二。技術的な話が普通に通じること。
これは技術者としてとても嬉しいことでした。今まで過ごしてきた職場では、技術的な話を振っても返してくれる人は常に決まっていましたが、ここではそのようなことは有りませんでした。誰と話しても全く通じるということがほとんどなく、きちんと反応をしてくれます。そしてもちろん話のピントがずれていることもありません。
あって欲しいと思っていた環境がここにはあったのです。
以上二点、いいのかわるいのかわからないが驚いたことを挙げてみました。
いま改めて思い返してさらに驚くことは、入社して4年くらい経ち人も全員とは言いませんが入れ替わったにもかかわらず、上の二点は変わっていないことです。相変わらず部長は本を買い込み(そして私も買い込み)本は増え、人が変わったにもかかわらず技術的な話は普通に通じてしまう。ほんの些細なことかもしれませんが、今のこの状況がとても気に入っています。
さて今日も書籍を紹介します。
今までは小説を取り上げていましたが、今回はちょっと変わったところで経営学書を二冊ほど。
一冊目はヘンリー・ミンツバーグ氏の「戦略サファリ」です。タイトルはちょっと変わっていますが歴とした経営戦略論の書籍です。
日本で経営戦略論というと、「競争の戦略」などの著作があるM.E.ポーター教授が有名ですが、世界的に見るとミンツバーグ先生も負けず劣らず著名なんだそうです。ポーター教授は一貫してポジショニングについての分析について著していますが、ミンツバーグ先生のこの著作はポジショニングだけでなく経営戦略の範疇にある10の理論についてとりあげ、ひとつずつ丁寧に解説されています。一つの理論について深く追求したい人にとっては物足りない印象を受けるかもしれませんが、自分がふれたことのない戦略理論に触れられることは視野を広める点でもいいのではないでしょうか。
戦略論=ポーター教授=ポジショニング、と一面的にとらえている人などは特にお勧めしたい一冊です。
二冊目は同じミンツバーグ先生の「マネジャーの仕事」です。内容は題名の通りマネジャー、つまり管理者の仕事はいったい何なのか?ということを書いています。これだけ聞くとそこら辺にあるビジネス書と一緒と思われるかもしれませんが、そこはミンツバーグ先生、普通の本は書きません。
経営学の書籍でも「マネジャーの仕事とは」といった内容のものはたくさん有りますが、ミンツバーグ先生は「経営学書ではこう書いてあるが、実際のマネジャーはいったい何をしているのか?」という疑問から出発し、実際に現役マネジャーにしばらく付きっきりで仕事の様子を観察しその結果をまとめていったのです。
理論に傾倒してしまうと実際の現場の事はなかなか意識しなくなりがちです。ミンツバーグ先生と比較するのもおこがましいですが、私も大学時代に現場での仕事の様子を意識したことは有りませんでした。今から考えると恥ずかし限りです。ミンツバーグ先生は大学院時代に現場の仕事の様を調査しようと思い立ち、実際にマネジャーに掛け合い調査に乗り出したそうです。
実を言うと私はこの本をまだ読み切ってはいません。ですが、この本を思い出す度、理論だけでなく現場ではどうなっているのかを考えるべし、と自分に言い聞かせるようにしています。
経営学書といって肩肘張らずに、視野を広めるためにいかがでしょうか。
それから最後にひと言。入社当時ミンツバーグをしらなかった私にミンツバーグ先生とその著書である「戦略サファリ」を紹介してくれた部長のNさんに感謝します。
2007/01/16 10:00:00
今日は大学に入学して以降のことを書いてみます。
昨日、高校時代に「ソフトウェア開発の仕事を目指すようになった」などと書きましたが、大学時代は今までの中で一番コンピュータから離れていた時期でした。興味が無いわけではなかったのですが、あまりお金が無かったのでやりたいことができる程度の性能のパソコンが買えなかったのと、大学の授業が当時の私にとっても十分に面白く刺激的でコンピュータにへあまり意識がいかなかった為です。
そもそも行った大学は理系学部ではなく経済学部(産業経営学科)で、コンピュータとは全く異なる分野でした。行かれるのであればやはり理系の大学へ行きたかったですし今でも行ってみたいという思いはありますが、如何せん高校時代の前半で数学の成績が急降下し手しまったため理系への進学を断念したのです。
もっとも、大学が文系であっても独学で有る程度は勉強できるはずだという考えがあったこともあります。これは、高校時代に、先輩が独学で勉強し第二種情報処理技術者の試験に合格したのを見ていた為です。実際、大学二年の時、私も独学で勉強し、第二種情報処理技術者の試験に合格することができました。実際の仕事でこの資格が役ったかと言えばそのような事はほとんどありませんが、それでも当時の私にはある種の自信が付きました。
そんなこんな(?)で無事にソフトウェア会社に採用され、大学卒業と同時に就職することとなりました。就職先は今いるタイムインターメディアではなく、とある大企業でした。色々な意味で有名な企業で色々面白いこともありましたが、入社して一年半経った時点で会社を辞めました。理由は会社との方向性の違いでした。
私はソフトウェア開発の基本はプログラムだと思い、まずプログラマとしてしばらく経験を積みたいとおもっていました。ですが、会社が私に求めていたのは所謂SEでした。プログラマとして経験を積んでからSE、というのであればよかったのですが残念ながらそうはなりませんでした。この方向性の溝は埋まらないと思い、その会社を辞め別の小さい開発会社に転職しそこでプログラマとして一年と三ヶ月過ごした後、今いるタイムインターメディアへ転職してきました。
二社目は会社としてあまり思い出がありません。仕事の都合で最初から最後までほぼ一つの仕事を通して行い、その間ずっと客先で作業をしていたからです。始めの何ヶ月かは先輩社員と一緒に仕事していましたが、途中から私一人、周りは全員別の会社の人という環境でした。
会社としての思いではありませんが、仕事での記憶はたくさんあります。とても辛い仕事ではありましたが、多くの人と知り合い色々なことを学び、ソフトウェア開発の本当の意味での基本が理解できたのはこの時です。そしてまた、尊敬できる技術者と知り合うことになったのもこの仕事の最中でした。このことが二社目での、私にとって一番の収穫となりました。
さて、今日も本を紹介していきます。
今回は中国歴史小説を二冊。と言っても三国志演義や水滸伝ではありません。一般にはマイナーな時代である春秋戦国時代を扱った二作品、海音寺潮五郎さんの「孫子」と安能務さんの「春秋戦国志」です。
中国史というと日本では三国志の時代が一番有名かつ人気があるようですが、それ以外でも面白い時代はあります。春秋戦国時代はその中の一つです。諸子百家などすぐれた思想家や兵法家が排出したのはこの時代ですし、どこかで聞いた様な話のネタの出処はこの時代の出来事だったりします。最近公開される映画「墨攻」も、この時代を舞台にした小説が原作ですね。
さて、本の紹介に戻ります。
「孫子」はその名の通り、兵法家として有名な孫子についてのお話です。歴史上、兵法家の孫子は二人いるとされ、一人は孫武、もう一人は孫ビン(すいません、漢字がでません)で、この小説はこの両者を取り上げています。春秋戦国というある時代を俯瞰することはできませんが、「孫子」を切り口に歴史を見て楽しむのもいいのではないでしょうか。
もう一冊の「春秋戦国志」ですが、著者の安能務さんは漫画で有名になった「封神演義」の翻訳でも有名な方ですね。余談ですが、漫画の「封神演義」は原作とは似ても似つかないので、漫画から入った人は気をつけてください。
さて「春秋戦国志」ですが、こちらは春秋の初めから戦国の終わりまで、有名かつ面白い話が盛り込まれています。語り口は砕けているので歴史小説に慣れていない方でも苦にならないと思います。
一つのエピソードを深く掘り下げて書かれているわけではありませんが、春秋戦国時代全体を通して見たいという人にはちょうどいい本ではないでしょうか。
中国史=三国志(演義)と言う方、一冊、いや二冊いかがでしょうか?
2007/01/15 00:00:00
みなさんはじめまして。本日より五日間担当となる「しま」と申します。よろしくおねがいします。
自己紹介代わりにしばらく、私の昔話にお付き合いください。
初回の今日は社会人になるまでのことを書いていきます。
私は物心ついた頃より今と同じ場所、東京都江戸川区に住み続けています。ですが、私が生まれる直前だったか直後だったかに実家が火事にあい、一時期同じ江戸川区の親戚の家に一家で移り住んでいたそうです。移っていた間私は生まれていましたが、幼少のことなのでまったく当時の記憶はありません。写真を見せられ、話を聞き、そういう過去があったことを知りました。記憶があるのは現在の再建した家に引っ越してきてからのことだけです。
さて、子供の頃の火事は記憶にさっぱりありませんがもう少し後、小学生になってから「パソコン」に初めて触れたことは覚えています。それは叔父さんがPC8001というNEC製のパソコンもっていたからです。触ったといっても本当に触れた程度、何をしたというわけではありませんでしたが、今につながる私の原体験となっていたのかもしれません。
これがきっかけかどうかわかりませんがコンピュータに興味をもったので、中学高校と部活動はパソコンに触れるところを選びました。初めて自分用のパソコンを買ったのもこの頃、中学二年のときでした。パソコンで何をするというわけではありませんでしたが、市販のゲームを買ってきて遊びつつBASICでプログラムを組んでいたりしました。高校生になってからはほんの少しですが、C言語を独学で勉強したりもしました。本当に大したことはしませんでしたが、今私がしている仕事、ソフトウェア開発の仕事を目指すようになったのはこのときだったのははっきりと覚えています。
--
突然ですが、なんとなく自分の気に入った本の紹介をしていきたいと思います。
今日を含めて5回全てについて、その時々のテーマ似合わせた書籍を紹介していきます。
まず今回は学生時代を想起させるジュブナイル小説を取り上げます。
一冊目は若竹七海さんの「スクランブル」です。女子校を舞台とし、校内で起きた殺人事件とその周辺で起こる出来事を、女子高生6人の視点で描いた作品です。各章毎、主人公となる女子高生が異なり連作の形をとっていますが、頭から終わりまで読むことで殺人事件の謎が解決する構成になっています。
ジャンルとしてはミステリ小説ということになるようですが、私はあまりミステリとしては見ていません。私が気に入っているところは、舞台となる学校内で孤立している主人公達の立場を、主人公の視点で書かれているところです。私もそうでしたが高校時代の「本好き」は周りから変わり者扱いされるもので、主人公達は文芸部所属で読書好き、そして閉鎖的な校風の中で「我関せず」で周りに同調しないことにより浮いた存在として描かれています。
ですが、そのようなことにへこたれずに、時には周りを無視して、またある時は衝突する様の描写が実に巧みで共感を誘います。
同じ作者の別の作品は暗い雰囲気のミステリが多いのですが、この本は最初から最後まで気持ちよく安心して読み進めることが出来ます。
本日の二冊目は新城カズマさんの「サマー/タイム/トラベラー」です。
新城カズマさんは所謂ライトノベル作家として名前がうれているようですが、あまり読んだことがないのでそちらについてはわかりません。SFとして、たまタイムトラベル物としてこの作品がそこそこ評価が高かったので気になってよんでみたところ、SFとしてではなくジュブナイルとしての面白さにはまりました。
あらすじはリンク先の解説にあるとおり、主人公の幼なじみが3秒だけ未来へ飛ぶことができたことをきっかけに、「時空間跳躍少女開発プロジェクト」を立ち上げ推し進めていく…というものです。
全体的にゆったりとした話のテンポ、見えないテーマ(私は最後まで自分で納得のいく作品の主題が判りませんでした)、所々に散りばめられた難解な単語と会話。とても気に入っているにもかかわらず、ひとに説明する際どこが面白いのか悩みます。でも、とても懐かしいような、自分もこういう時間を過ごせたならばという、なんとも言えない心地よさがありました。
「スクランブル」ほど多くの人に勧められる小説ではありませんが、気になった方は是非手にとって見てください。懐かしい時間がそこにあります。
2007/01/13 10:00:00
こんにちは、新人君です。
たぶん原稿締め切りまで、あと9分。
正月ボケが治っていません。
今年の初めの週は、木曜日と金曜日だけ出勤したら三連休。
三連休が終わった後、気づいたら金曜日。
この一週間、構造化プログラミング(その1)の手法を学びました。
でだしです。基本です。歩行器を使って歩き出した感じです。
渡されたのはこの本。
トム・デマルコ「構造化分析とシステム仕様」
まだ、読み終わっていません(泣)
来週には読み終えたい!!と思ってます。
さて、来週は社長面接です。
準社員だった私が、社員になれるかどうかという重要な面接です。
ちょっとドキドキしています。
ではでは、よい週末を!
2007/01/12 09:30:00
今日はラックの奥行について話します。
昨年構築したシステムで、サーバを固定するレールが長すぎラック後端
から2cmほどはみ出してしまい、扉を閉めることができないという問題が
おきました。結局はラックの奥行を無理矢理拡張し解決しました。
この問題は原因は一目でわかるほど単純ですが、単純なゆえに小手先の
対策では解決できず、解決に苦労しました。
この問題が起きるまで、サーバの奥行などそれほど気にしたこともあり
ませんでしたが状況を把握するためにいろいろ調べてみました。その結
果、サーバ用ラックの奥行は90cm〜100cmぐらいであることが多く、それ
に対し最近の高集積なサーバ等の奥行は80cmを越えることもあり、90cm
のラックでは前後の余裕やケーブルのスペースを引くと、ラックに収ま
らない危険性があることがわかりました。
余談ですが、機材を設置する際には電源容量も重要です。過去には電源
容量が足りずシステムの負荷があがると突然全機器の電源が落ちてしま
う、というおそまつな事態になってしまったこともあります。それまで
かなりの騒音を出しながら動いていた機器が突然無音になってしまう瞬
間は、今思いだしてもいやな気分になります。
このような物理的な問題の場合、ラックであれば奥行の長いものにラック
を変更する、電源であれば電源を追加する、というように根本的な解決
方法しかとりようのないことが多いと思います。
また、機器がラックに確実に収まるか事前に確認することは難しいこと
が多く、現実的には余裕をもったサイズのラックを用意するようにする
方法が確実だと思います。
今回の場合、棚置きする方法なども検討しましたが、最終的に図のような、
後ろ扉の一部をさらに突き出す形の特殊な扉を使うことになりました。
(下手な絵ですがご了承ください。)
特別仕様の突き出し扉
当然ですがこのような扉を用意するために、数週間の時間と追加費用が
かかりました。
2007/01/11 09:30:00
今日はVPN上でのMTUについて話します。
以前構築した図のような拠点間インターネットVPNシステムで問題はおこ
りました。左端のPC上のブラウザから右端のWebサーバへアクセスすると
トップページは表示されますが、何故か画像やその他のコンテンツが表示
されませんでした。
原因はファイアウォールでICMPが禁止されており、MTUの大きさを調整で
きないためでした。VPNルータ2でDFビットを落すことで問題は解決しました。
当時はVPNの仕組みやTCP/IPの基礎などもほとんど理解できておらず、こ
の問題が起きたときは原因を調べる方法すらわかりませんでした。ほん
とうに絶望的な状況でしたが結局この時は当時の先輩に解決策を授けて
もらいました。
ヤマハのルータでDFビットを落す設定は次のとおりです。
ip fragment remove df-bit filter 1
ip filter 1 pass * * *
参考URL
http://www.rtpro.yamaha.co.jp/RT/FAQ/IPsec/faq_4_b.html
今、私がこのような通信上の原因不明な現象に遭遇したならば、次のよ
うな方法で原因を探ると思います。
- 機器の詳細なログ取得
- 各機器でパケットキャプチャ
まず、上記を参考にどこからどこの間では通信に問題がなく、どこから
どこで問題が発生しているかを切り分けます。切り分けができたら、問
題の発生している箇所で特殊な設定をしていたりしないか探すと、だい
たいのことはわかると思います。
2007/01/10 09:30:00
今日はネットワーク機器やサーバのリンクスピードと通信モードついて話
します。
(以下ではリンクスピードと通信モードを「設定」と略します)
以前構築したシステムでLAN内の通信はまったく問題ないのに、なぜかイン
ターネットへの通信が遅いという問題がありました。結果として原因はル
ータの上流にあるスイッチとルータの設定が合っていないことでした。ス
イッチの設定が10Mハーフ固定なのに対しルータはオートネゴシエーション
(以下オートネゴ)に設定されており、ネゴシエーションが上手くいってい
ませんでした。ルータの設定を適切に修正すると問題は解決しました。
この問題はロスが数%あるもののpingは通り、なんとなく遅いという現象で、
当初はハードウェアの故障や回線帯域の不足などが原因かと考えましたが
明確な証拠が得られず、ネットワーク機器の設定に問題があると気付くまで
に時間がかかりました。
また、ケーブルの抜き差しや機器の再起動毎にネゴシエーションが行なわれ
るためその度に設定が変り、以前は問題なく動作していたのものが急に不調
になるといった挙動を示し問題を複雑にしています。
単純なスイッチとサーバだけの構成ではこの問題が起きることはまれなため
つい忘れがちですが、特殊な機器や別ネットワークとの接続部分では注意す
る必要があるということを学びました。
以下ではいくつかの機器を例として実際に設定の確認方法と設定方法を紹介
します。
まず現状を確認すると、オートの設定でネゴシエーションに失敗し、100Mハー
フになってしまっています。さらに、エラーパケットも発生しています。
#show status lan3
Operation mode setting: Auto Negotiation (100BASE-TX Half Duplex)
Receive framing error: 2
Receive overflow: 1239
Receive CRC error: 1
そこで、10Mハーフ固定にします。
#lan type lan3 10-fdx
再度、確認します。エラーパケットが増加しなくなっていることも確認できます。
# show status lan3
Operation mode setting: 10BASE-T Full Duplex
シスコの機器でも似たような方法です。まず確認します。
#show interfaces GigabitEthernet 0/3
Half-duplex, 100Mb/s, link type is auto, media type is 10/100/1000BaseTX
#show interfaces GigabitEthernet 0/3 counters errors
Port Align-Err FCS-Err Xmit-Err Rcv-Err UnderSize
Gi0/3 0 0 0 2007 0
Port Single-Col Multi-Col Late-Col Excess-Col Carri-Sen Runts Giants
Gi0/3 0 0 0 0 0 0 0
10Mハーフ固定にします。
#interface GigabitEthernet 0/3
#duplex full
#speed 10
ここではethtoolというコマンドを使い、オートネゴになっていることを確認します。
# /usr/sbin/ethtool eth3
Speed: 100Mb/s
Duplex: Half
Auto-negotiation: on
エラーパケットはifconfigで確認します。
#/sbin/ifconfig
RX packets:372133712 errors:110 dropped:0 overruns:0 frame:0
TX packets:19095476 errors:0 dropped:0 overruns:0 carrier:0
collisions:0 txqueuelen:1000
その場で設定を変更する場合は以下のコマンドを実行します。
ethtool -s eth3 autoneg off speed 10 duplex full
OSを再起動しても設定が有効になるようにするためには
/etc/sysconfig/network-scripts/ifcfg-eth3 ファイルに以下を記載します。
ETHTOOL_OPTS="speed 10 duplex full autoneg off"
探した範囲ではWindowsで現状の値を確認する方法はないようでした。
以下のコマンドではエラーパケットが発生しているか確認できます。
$ netstat.exe -e
Received Sent
Errors 0 7
Unknown protocols 130
設定方法は以下のとおりです。
1. マイネットワークの「プロパティ」を開く
2. ローカルエリア接続の「プロパティ」を開く
3. 「構成」ボタンを押し、開いた画面の「詳細設定タブ」を選ぶ
4. プロパティ「Link Spped & Duplex」の値を「10Mbps/Full Duplex」に設定し「OK」
2007/01/09 09:30:00
すこし遅いですが、あけましておめでとうございます。今年もよろしく
お願いいたします。
さて、皆さんご存知のように当社はシステム開発の会社なのでプログラマ
ーやSEが過半数ですが、ネットワークやサーバを専門に担当している部署
もあります。私はその部署に所属しています。
このブログでは私が普段どんな仕事をしているのかを、過去の失敗談を
基に、どんな失敗をどのように解決または回避したのか通じて紹介して
みたいと思います。
専門的な用語も特に説明無しに使いますので、一般の方には難しいとこ
ろもあるかと思いますが、同じような仕事をされている方には興味をもっ
てもらえればと思います。
(もちろん、わからないところはご質問いただければできるかぎり回答し
ます)。
このブログの趣旨とは少しずれてしまうかもしれませんが、よろしくお願
いします。
2007/01/06 10:00:00
あけましておめでとうございます(^^)/
さて、新年早々、私の所属する事業部は模様替えをしました。
気持ちがよくなったような、気分が一新されたような気がします。
ところで、皆さんは年末年始、何をされていましたか?
私は、年末は飲み会の続きと、全員にちゃんと出せたのかわからない年賀状書きと家族との団欒でした。
ただ、3日は少し毛色が異なり、ライスボールを見ながら画面定義を書いていた気がします。覚えているのが、OSのリターンタッチダウンと法政大学のタッチダウンまでなのが気になるところです。
仕事を残したまま休みを迎えるというのがどういうことかを、思い知った年末年始でした。