どうも。
odradekです。
最終日になりましたので趣向を変えてみます。
これほど時間を無駄に使うこともない駄文に
お付き合い頂けたなら、それは僕にとって光栄なことです。
僕の世界とあなたの世界は異にして交わるものではありません。
言語や感覚を駆使してその境界をいくら愛昧にしたとしても、
それが別のものであることは明白です。
そういう意味で世界は「自分」と「自分以外」の2つに
分類できるのかもしれませんが、
それが認識できる全てでしかない以上
世界は無数に存在し続ける全てです。%
その中では「自分」は無に等しいものです。
それでも、世界から「自分」を排除することはできません。
「自分」を認識してしまう「自分以外」が存在することを否定できないからです。
確実にそこに存在するのに、その存在は無いことと同義になってしまいます。
そしてその存在が如何に微小であっても、
それは「必要」か「不要」かでは括ることができず、
ただそこに在るだけで何の意味も為さないというだけのことでしかないのです。
それなのに、人は「必要」とされることを望んだり、
またはそれが自我を支える全てであったり、
逆に「必要」とされることに重荷を感じたりします。
これは人が人である以上、その生が不自由であることを意味します。
しかし、この不自由の中にしか自由は存在し得ないのです。
自由とは制限からの解放であり、制約に対する反発力だからです。
これらの二律背反的あるいは多面的要素で構成される世界を
その実認識することもなく、自己矛盾を解決することもなく
存在することができる人間という生き物と
けっこう遅くに帰って来たのにこんなテキストを必死で起こしている
僕自身が面白くて仕方がないですね。
最初に断っておきましたが、
これほど時間を無駄に使うこともない駄文に本当に付き合って頂いた方、
本当にありがとうございました。
方々御迷惑をお掛けしたようなので少々気が引けますが、
これで僕の回は終了しますので何卒御容赦を。