2009/11/10 00:00:00前回の続きで、ふと思いついて、Wikipedia の駄洒落の説明を見てみると、以下の通り。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%e9%a7%84%e6%b4%92%e8%90%bd
駄洒落(だじゃれ)は同じあるいは非常に似通った音を持つ言葉をかけて遊ぶ一種の言葉遊び。雑俳の一つとしての「洒落」は言葉の一部分を母音とイントネーションが同じ語、母音が同じ語、同音異義語などを当てはめるものである。例「蝶々一本さらしに巻いて(包丁一本サラシに巻いて)」。言葉遊びの「洒落」は知識と教養を示す気の利いたものであったが、これに価値を認めることのないカウンターカルチャーからの揶揄を込めて「駄」の文字を冠した。洒落の文化が失われるにつれ、それを文化として持たない若者からはおやじギャグと称されるようにもなる。古くは地口とも。
判りやすい遊びの一種であるため、語彙が増えだす小学生などの低年齢の人がこれを用いてコミュニケーションの円滑化をはかることがある一方で、大人が条件反射的に特に若い世代に対して用いると逆にコミュニケーションの円滑化を損ねることになる場合もある。
「逆にコミュニケーションの円滑化を損ねることになる場合もある」って、そこまで言わなくてよいのではないかというか……もう手遅れではないかという気もしますが。
これで思い出したのですが、まだ私が 20 代の頃、よその部署の偉い人に話しかけられたことがありました。
「今、何やっているの」
「はい、ソースを見ています」
「そうっすか」
(反応に困って固まる)
「……今のシャレだったんだけどな」
(寂しそうに? 去っていく後ろ姿を、ただ呆然と見送るのみ)
このとき、パーティションの向こう側には別の女の子がいたのですが、後で、「その会話、聞こえちゃって、だーっと疲れたわよ」と、こぼされたりもしました。「……今のシャレだったんだけどな」が、ダメ押しになったみたいです。
まあ、今の私だったら、「そうっすね」とか元気よく返せるとは思うのですが、傍で聞いている人とかいたら疲労が倍になったりして。「いやもうすみません、そうするしかなかったんです」としか言えない事態になるかもしれません。
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