2010/08/31 00:00:00
四巡り2日目となる本日は健康について・・・。
当社が契約している産業医である鎌田医師は、内科、アレルギー科、心療内科と企業が社員に対して必要とするフォローがバッチリできる方であります。
クリニックは築地にあります。
http://www.hikobae.net/Tsukiji_Futaba_Clinic_Internal_medicine_allergy_mental/Tsukiji_Futaba_clinic.html
漢方を推奨されている先生なので、薬漬けにされる心配も全くありません。
お話がとってもうまくて、当社では月に1回先生の休診日にお時間を頂戴し「健康ミニセミナー」が開催されています。
イベントごとで、なかなか人が集まらない当社でも、このセミナーの参加率はかなり高かったりします。
このミニセミナー、内容はかなり充実していて「がん」基礎知識からはじまり「隠れ糖尿」から「うつ病のメカニズム」、「不眠症」、「花粉症」、「インフルエンザ(新型)」まで、たくさんのテーマを扱ってきました。
おかげで、かなり予防知識や健康チェックに対する知識がついてきたと思います。
そんな中、少し前より新たな取り組みとして『栄養指導』なるものについても、導入を致しております。
管理栄養士のスラリとした美人系の大塚先生による栄養指導。
これが、人事として働く一方で主婦でもある創世紀にとっては、自身および家族の健康を守る上でかなりありがたい制度となりました。
正直、仕事と家事の両立は体力的にも厳しいものですし、そのうえ家計を預かった上で栄養を考えるとなると。。。
そのプレッシャーは、はかり知れず、全てを捨てて逃げ出したくなることも年に数回必ずといっていいほどやってきます。
そんな私が栄養指導で、手軽で確実に高い栄養価を取る方法を取得したことにより、健康維持のための栄養素というプレッシャーからは、幾分開放されたというありがたいお話です。
さて、その手軽で確実な栄養食材とは、いったいなんだと思われますか。
もったいぶらずに、ずばり!書きましょうね。
『雑穀米』であります・。・。゜:・\(^-^ )ども♪ o(^-^)o ども~♪( ^-^)/・:゜。・。・
私はもちきび、もちあわに気が向いた際には黒米と発芽玄米を混ぜ込み、米3合にたいして雑穀全てが1合くらいになるように炊き込んでいます。
大塚先生いわく、本当は半分くらいの割合がベストなんだそうですが、さすがにそこまでいくとかなり違和感が出てはきます。
創世紀自身は、玄米を炊いて食べていた時期もあるので、全く気にならないのですが、家族からは不評となること確実。
白米と比べれば、数倍の栄養が見込めるためこれくらいの割合としています。
この雑穀3対1を摂取するようになって、忙しくなり体力的に厳しくなると、決まって出来る口内炎が全く出来なくなりました。侮ること無かれ、雑穀パワー!!といったところでしょう。
主食でビタミン、ミネラルと言った栄養が取れるので、あとはおかずでたんぱく質と繊維といった雑穀でとりきれないものを補ってあげれば長生きできるんじゃないでしょうか。%
疲れているときは、雑穀に納豆でも問題ないと思われます。(手抜きすぎるか・・・(-"-;A ...アセアセ
そんなこんなで、この夏の長い長~い猛暑も、なんとか無事に乗り切れそうな創世紀です。
2010/08/30 00:00:00
とうとう、ブログの執筆も4回目を迎えてしまいました(-_-)ウーム
人事としてこちらにお世話になって、気づけば4年の月日がたっていたりします。
時の流れとは、長いようでいて、振り返ってみると案外短かったりするものです。
人事の仕事って、本当に人相手なので人間としてのスキルが問われます。
自分、人間として未熟極まっているもので、日々苦労が耐えません。
ココ最近は、太田胃酸や頭痛薬さんたちとも、とっても仲良しです☆ヽ(▽⌒*)
会社側の人間としての立場、社員側としての見方、役割のための責務。
何が正しくて、何が間違っているのかよくわからなくなることも多いものです。
そんな時、自分はきまって役割のための責務を最重要視することにしています。
とはいえ、関わる人も様々で責務に柔軟性を求められることもしばしば。
時々、大声で叫びたくなったりすることも増えていて、ともともと変わり者ではありますが、昨今は変人ぶりにさらに磨きがかかってきていると思われます。ハラホロ~( ̄∇ ̄)~ヒレハレ
そんな私の最近のストレス解消法は、もっぱら引きこもりです。
自宅のとある場所に一人静かに引きこもる。私の究極の癒しの時間です。
もっぱら、ひきこもっては外気を感じながら、空をみやげ気に入ったものにかこまれて、気に入った本や雑誌を読むなど頭を空っぽにする時間を持つことにしています。
私の隠れ場所への入り口。
温かい色合いの照明が漆喰を照らし、それはまるで洞窟への入り口のように神秘的。。。(←自分だけがそのように思っている
天井には、お月様を眺めるための窓があり・・・。
低い天井の部屋には、自分のコレクションとお気に入りの本や雑誌が並ぶ。。。
吹き抜けた天井の下には寝室があり、書斎コーナーがついている。
永遠にこの場所に閉じこもっていられたらどんなに幸せでしょう。
ただ、こんなゆるい生活にひたっていたら、1年もしないうちにボケちゃいそうなんですが・・・。
人生にはメリハリが必要だと思う創世紀です。
仕事もプライベートもバランスが大事だと思っています。
世の中には、仕事が趣味をかねている人もいるかもしれません。
理想としては私もそんな風になれたらいいなぁって思います。
仕事を趣味にするなら、ひたすら人間好きになるしかない!?
そんなことを、昨今真剣に考えてみたりしている創世紀です。
2010/08/27 09:00:00
一人生活の私は毎日の食事、特に夕食は難儀する。
私の奥様台所になってるのがこの「夢風船」である。
夢風船はれっきとした割烹料理屋でマスター(オーナー料理長)の確かな腕を
食する固定ファンも数多い。
特に季節を感じる魚介類、野菜をベースにした煮物、焼き物は銀座の高級料理店を
も凌ぐ味付けである。奥様と二人のアットホームな雰囲気も人気である。
会社関係でもお客様との会食で利用することも多くいつも評判が良い。
何人かは固定客となり偶然ばったり会うことも珍しくない。
私はこの夢風船を別の意味でプライベートに利用させて頂いている。
家庭の味が恋しくなった時ふらりと入りカウンターに座る。
そうすると生ビールグラス一杯と家庭的な食事が盆に載って登場する。
中味はそのときの材料で異なるが食べやすく少量ずつが5品~6品はある。
風邪気味、腹の調子など体調を言えばそれに準じたものが並ぶ。
私の呼ぶ「奥様台所」の所以である。
考えてみれば「食する」とは奥が深い。
TV番組、雑誌も何もかも食べ物特集は人気も高くいろんな角度から「食」を
追求してくれる。
生まれてからほぼ毎日3食必ず実行する一生涯続く事象であり生命維持のみならず
文化としても関心が高くなる。
人生70年として76,650回、平均30分としても38,325時間、4年半は
夜も含め食べ続ける一生である。
良い料理との出会い、良い料理人との出会い、良い店との出会い、そして
料理上手(自分にとって)な奥様との出会いは人生そのものまでも影響する
重要なことと言える。
男性の女性への最大の誉め言葉は、
「この味はお袋を越えた・・・」
と信じる。
では、、、
女性の男性への最大の誉め言葉は・・・・・・
「こんなの初めて・・・・」
?????
2010/08/26 09:00:00
3~4年前まで荒木町の和風ステーキとして一世を風靡した「松の実」があった。
良くテレビの料理番組や街の紹介番組で紹介されたこともあり覚えている方も
あるのでは。
諸般の事情で店は廃業してしまったがそこの料理長(シェフ)が開店したのが
「EiNs ZWEI DREi」
ドイツ語で1,2,3を意味する和風ステーキ屋である。
もろ味ステーキなど松の実時代の味がそのまま味わえるとともに気まぐれなシェフが
選んできた材料でいろんな味が賞味できる。
レディースセットなどリーズナブルな値段で本格的なステーキも味わえるが私は
ここでは注文が許されないし予算も何も言えない。
ただテーブルに座って出された料理を食べるのみ、何が食べたいかも、
肉の焼き具合も指示できない。
これがすごく良い。
あーだ、こーだと注文してたらいつも同じようなメニュー、何の進歩も無い。
10年以上の付き合いのあるシェフが私の顔色を見ながら体調に合わせた料理を
出してくれる。
通常はデザートに本格的な本物の杏仁豆腐があり楽しみにしているがあえて
健康のため出してくれないこともしばしば。
まさに「食の主治医」そのままである。
シェフとは個人的な付き合いも深い。
店が引けた後の荒木町のスナック巡り、シェフが唯一保持する福島は勿来カントリー
での遠方ゴルフ(ほとんどは常磐線の急行)、昔になるが正月には3年連続二人で
バンコクで休暇など想いでも多い。
さて私が本格的なステーキを食べたのは20台半ばの初めての海外出張した
フィリピンでの事。
それまでは豚肉や鶏肉中心の丼モノかぜいぜいトンカツ程度。
とにもかくにも年齢的にも今ではそう食べないが私の中で「ステーキ」は
高級感あふれ海外をイメージする贅沢な食べも物となっている。
2010/08/25 09:00:00
今日は日韓対決をお届けしよう。
まずは日本、曙橋近くに最近オープンした天ぷら専門店「荘司」がある。
これが結構いける。
旨い天ぷらを食するなら銀座の老舗の店かか高級ホテルの店舗かとバカ高い
天ぷら専門店をイメージしていた私だがここでの天ぷらで認識を新たにした。
特に板さんの出身地である東北から送られてくる山菜や野菜系の天ぷらは味が
濃く新鮮でもあり絶品である。
それと注文してから女将さんが炊き始める「炊き込みご飯」、季節のものが
詰まったこのご飯は天ぷらの最後の締めとして欠かせない。
お客様や社員を何人かお連れしたが異口同音に「旨い」を連発してくれる。
無口ながら腕が確かな旦那と明るく愛嬌のある美人女将の二人で仕切っている。
聞けばこの二人は20代の若夫婦。
コンビも絶妙なはずである。
季節感のあるランチもおすすめ、一度食してはいかがでしょうか。
次に韓国代表は荒木町杉大門通りのど真ん中に位置する「ハレルヤ亭」。
韓国の人の良いチャーミングなおばさん二人で切り盛りしている。
私のここでの定番、
・キムチとナムル盛り合わせで生ビール
自動的に韓国定番のセットおかずが3品はついてくる
・チャプチェかチジミ
・骨付きカルビ
・テンジャンチゲ(味噌チゲ)かズンドクチゲ(豆腐チゲ)とライス
週一はこの定番が恋しくなる、ほとんど韓国家庭料理である。
すべて上手いが裏の調理場で焼いてくる「骨付きカルビ」は絶品、本当に
犬みたいに骨だけ残して全て舐めるように食べてしまう。
名物ママ(フロント係り、オーナー?)は韓国の人の良いおばさん風であるが
何度もテレビにゲスト出演している。その関係もあり芸能人が良く来る店でもある。
この韓国家庭料理を食べその後韓国人ママのスナックでカラオケ、客の日本語の
上手い韓国人と話し、家に着いたら韓流ドラマ、
私って一体誰、ここはどこ・・・・・・いつからこんなことになった、、、、、、
世はグローバル社会、いろんな文化を味わってこそのグローバル、
私の道に間違いは無い。
さてキムチであるが私は20代前半の頃悲惨な思い出がある。
貧乏な私はよくスーパーでキムチを買い置きした。
夜中に腹が空くとこのキムチを熱いお茶で食べるのである。
辛い辛い刺激と熱いお茶があいまって口の中、腹の中がとんでもないことになる。
これで空腹感を紛らわすのである。
「お前はキムチ中毒か?」と疑われる位に会社の寮で毎日食した。
今は充分に味わって余裕を持ってビール片手にキムチを食べている。
2010/08/24 09:00:00
荒木町界隈は実に焼肉屋とラーメン屋が多い。
ラーメン屋でいえば一世を風靡し今なを人気が高い「一心ラーメン」、早朝まで
開いている「大勝軒」、最近出店し行列もある「北の大草原」など10店舗以上が
軒を並べる。
私がよく訪れるのは四谷三丁目消防署近くの「ラーメン大陸」、
脂にまみれた漫画と週刊誌、写りの悪い小型テレビそしてちょいとためらうトイレ、
どの街でも見かける昔ながらの風景のあるラーメン屋である。
しかし私にとってマスターは一流、味覚感性に合うのである。
特にお気に入りは餃子。
最近は餃子も様変わり、専門店などのおしゃれな餃子、カラフル化が目立つ。
しかしここの餃子は昔ながらのニンニクを利かせた王道の餃子。
聞けばニンニクは奥様の実家である奄美大島から取り寄せている絶品モノらしい。
本格餃子を堪能したい方は一度は食べる価値がある。
年は私と同じ頃と見る目つきの悪い2枚目風なマスターは大のゴルフファン、
ステディな上手いゴルフをする。
何度か個人的にも、店主催のコンペにも参加しているが私が勝ったためしが無い。
食事での話題はほとんどがゴルフ、言うなればゴルフ師匠の一人でもある。
「酒とタバコは止めた、買うのを・・」と言っては私のビールとタバコを持って
いくが師匠だから文句が言えない。
昔ながらの味で四谷三丁目、荒木町のラーメン激戦区を勝ち抜いて欲しい。
たいていはここの餃子と野菜ラーメン食後に隣の「ウナカンツォーネ」でイタリアン
ワインを片手にカンツォーネを聴きながらナポリの夜にまどろむ。
日伊同盟のこのギャップが、混沌とした文化交流が離れられない新宿荒木町の
魅力の一つでもある。
私には餃子にホロ苦い思い出がある。
私は東京に来るまで世の中に餃子の食べ物があることを知らなかった。
18~19歳の頃、ようやく実現した女性とのデートで中華料理屋に入った。
彼女がいろんなモノを注文したがその中に餃子があった。
「それ何・・?」って聞いてしまった。
「佐藤君、餃子知らないの?」軽蔑も含んだ(・・と思っている)言葉。
彼女とはそれ一度のデートで終わった。
それ以来、餃子憎しで餃子のある店では必ず餃子を注文し強く噛んで食べている。
2010/08/23 09:00:00
こんなことを公には言えないが創業以来曙橋や四谷三丁目付近に当社が
所在するその理由の一つに新宿荒木町の存在がある。
飲食店街荒木町をさまよい続けて20年以上になるがなじめばなじむほど
飽きもなくさらにまだまだ未開拓の店も数多くあり癒しと探究心を満足
させてくれる。
案内し荒木町を好きになったお客様も多く連れ立って闊歩すると話も弾む。
そう簡単にはこの地を離れられるものでは無い。
さて今回の私のブログ当番にあたり常連、なじみ、皆さんが私の名前を出せば
ツケでも何でも聞いてくれそうなお気に入りの店をいくつか紹介しようと思う。
「こくてぃる」
会社の私の仕切りのある部屋に一枚の絵がある。
田んぼで農夫が雑草取りをしている玄人肌のお気に入りの絵である。
毎日眺めては「地道な努力なくしては大きな収穫は得られない」を
教訓としている。
この絵は「こくてぃる」のお母さんが書いて私にプレゼントしてくれたもの。
私はお母さんと呼んでいるが年は私より若干上か、若々しく見える。
さて「こくてぃる」であるが戦後間も無い付近から続くと思われる洋風居酒屋で
ある。
名前の由来、たぶん「カクテル」を日本語読みしたものと想像する。
カウンター10席ほどとテーブル席3つが表玄関、奥の裏側には裏玄関があり
20~30人は充分可能なテーブル部屋もある。こちらは若かりし頃の真野響子と
思われる白黒写真が印象的である。
どのテーブルもカウンターもほとんどいつも賑わっている。
カウンターの棚にはあらゆる洋酒さらに日本酒、焼酎などが所狭しと置いてあるが
私の楽しみはそこらにあるあたり前の食材によるおつまみである。
お母さんが毎日漬けてくる「糠みそおしんこ」「ポテトサラダ」、昔懐かしい
「オイルサーデン」、私のリクエストで作られたワカメと玉ねぎの「健康サラダ」
そして絶品はあの昔喫茶店で昭和40年代に食べた「ナポリタン」である。
このナポリタンは私と同じ世代の人はみんな感動してくれた。
先日この店を紹介してくれた当社顧問税理士のK氏とちょいと一杯で「こくてぃる」
に入った。キープしてあるサントリー角ボトルとおつまみ2品で1時間ほど。
料金1570円、二人でである。
私のゴルフの師匠でもあった初代マスターは数年前病気で死去、いまは息子が
2代目、あとを継いでいる。
この2代目、若いながらもも穏やかで笑みが素晴らしい良い人、常連は増え続け
ている様子。お母さん(もちろん実母)との二人三脚も板についてきた。
初代マスターも安心、喜んでいるに違いない。
私はお母さんのファン、多分相思相愛、行く度に台所で話をするのが楽しみ。
約束で当社の上場の暁には2枚目の絵を書いてもらうことになっている。
もう絵に着手しているとの事、私も早く頑張らないと・・・・・
さて私の若かりし頃はスパゲティと言えば「ナポリタン」か
「ミートソース」、
深夜の喫茶マイアミあたりでよく食べた。
30年以上前、渋谷のマイアミで連れの女性とナポリタンを食べた。
口の周りがケチャプやら何やらで付いたままの私を見て、食べ方が汚い
と言われた私。
---単におちゃめなだけなのに、田舎モンと解釈した--
これトラウマ、それ以来「ミートソース」派に徹した。
もちろん彼女とはこの日でバイバイ、二度と会うことはなかった。
2010/08/20 00:00:00
さて、昨日は選手の移籍について触れましたが、どうやったらオファーをもらって移籍できるのでしょうか。いくつか手段はあるのですが、ほとんどの場合が"代理人(エージェント)による売り込み"です。
選手は当然ながら権利関係や法律一般、報酬の妥当性、労働条件といったものに詳しくありません。選手のために好条件で働けるよう、選手の代わりに知恵を絞って交渉するべく契約の席に同席するのがエージェントと呼ばれる人たちです。特に若い段階で移籍をすることが多いサッカー界では、エージェントの役割は非常に大きなものになっています。
国によって移籍交渉を行えるエージェントの定義は様々ですが、日本の場合はJリーグ規約で「弁護士またはFIFA公認代理人」と決められています。実際には、弁護士またはFIFA公認代理人が所属する事務所(エージェンシー)と選手が契約し、そのエージェンシーが案件ごとに担当者を選出し対応する場合がほとんどです。
日本では例えば、稲本潤一、大久保嘉人、鄭大世などを抱える、「ジョブエンターテイメント」 (http://www.jebentertainment.jp/
)、中村俊輔、長谷部誠などを抱える、「スポーツコンサルティングジャパン」 (http://www.sportconsulting.jp/
) といったエージェンシーが有名です。海外移籍を目論んでいる方はぜひ一度話を聞いてみるのもいいかもしれません。
エージェンシーと契約すると次は売り込みです。よく「大会視察にスカウトが来ている」とか「練習中にスカウトから声をかけられた」なんていう新聞記事を見ますが、あれは契約に至る経緯のちょっとした一つの出来事にすぎません。それをキッカケに契約するなんてことは相当なレアケースです。例えば海外移籍を実現させるために行われる最も多いパターンは、選手が契約しているエージェンシーが売り込みたい国のエージェンシーまたはエージェントに、こういう選手がいるが興味はないか、と声をかけます。もし少しでも脈があるようなら、YouTubeのようなサイトを利用しその選手の紹介VTRをアップしURLを教え見てもらいます(今の時代DVDを送付するなんていうのは遅すぎてやっていないそうです)。内容は練習風景だったり、試合での活躍ぶりであったり、その国の言語に長けている選手は、本人がカメラに向かって自己紹介をする、なんてこともあるようです。そしてそれを見た海外のエージェントの目に留まれば、実際にその選手を見に来るか、見せに来いと言ってきます。日本代表に選ばれた選手などは海外遠征時に合わせて向こうのエージェントと会うこともあります。これが「大会視察にスカウトが来ている」という情報です。エージェントが"見たい"と思っている選手が5人もいれば向こうからやってきてくれます。なので規模の大きいエージェンシーと契約するのは当然有利ですよね。その際にこちら側のエージェントが選手との間に立って、基本情報や希望報酬、得意なポジションやプレイスタイル、将来的な展望などを伝えます。本田圭佑が「レアル・マドリードに行く」と公言していますが、あれもすでにレアル・マドリードを顧客にしているエージェントの耳には入っているはずです。特にヨーロッパでは選手の意志がはっきりしているほうが好まれますので、実現不可能なことではないかもしれません。試合に出れるかどうかはわかりませんが。
その後、来日してくれた海外のエージェントは帰国し、その選手の希望に合いそうな様々なチームに掛け合います。自分が撮影したDVDなどもそこで見せることがあります。クラブチームは過去にいい選手を連れてきてくれたエージェントには全幅の信頼を置きます。評価の高いエージェントから話をしてもらうのは移籍を成功させる重要なポイントとも言えます。
クラブチームが興味を持つと、オーナーやコーチ、監督などが集まってその選手の評価を行います。「この選手は今のチームにフィットしそうだ」「監督の構想に合ってるんじゃないか?」「今うちにいるあの選手を放出してこっちを獲得しようか」など、チームが勝つためにあるいはビジネスを成功させるために様々な角度から検証します。
獲得の意志があると、紹介してくれたエージェントを通して"人物照会"を行ないます。今まで検討してきたこの選手はホントに日本のJリーグに所属しているのか、名前はこれで合っているのか、犯罪歴はないか、代表経験は何試合か、などなど、確認事項は場合によってはプライベートにまで及び、その選手についての詳細な情報を得ます。その情報をもって最終的なGOサインになり、正式なオファーが届きます。
ここまでくればあとは今所属しているクラブとの交渉になります。予め現所属クラブとネゴれていればスムーズにことは運ぶでしょう。ちなみに選手の移籍意思表示からオファーまで、日本からヨーロッパへの移籍の場合は約半年から1年かかります。ですので、日本代表の長友佑都がW杯終了後にすぐイタリアのチェゼーナに移籍しましたが、あれはW杯前に(無事W杯を終了すればという条件で?)ほぼ決まっていたんでしょうね。また、ヨーロッパからヨーロッパの移籍の場合や同リーグ内での移籍の場合、情報は予め把握しているケースが多いので、移籍市場が開いてから交渉を始める選手のほうが多くなります。
って、最終回は全然数字の話じゃないですね。ま、いっか。
2010/08/19 00:00:00
では早速選手の給料のお話です。下世話ではありますが、ヨーロッパのリーグで活躍する選手の推定年棒ベスト20はこちら。(イギリス・デイリーミラー紙調べ。2009/2010シーズンの金額と所属チーム)
1 C・ロナウド (レアル・マドリード, ポルトガル代表, 15億1千万円)
2 イブラヒモビッチ (バルセロナ, スウェーデン代表, 13億9千万円)
3 メッシ (バルセロナ, アルゼンチン代表, 12億2千万円)
4 エトー (インテル, カメルーン代表, 12億2千万円)
5 カカ (レアル・マドリード, ブラジル代表, 11億6千万円)
6 アデバヨール (マンチェスター・シティ, トーゴ代表, 10億円)
7 ベンゼマ (レアル・マドリード, フランス代表, 10億円)
8 テベス (マンチェスター・シティ, アルゼンチン代表, 9億3千万円)
9 J・テリー (チェルシー, イングランド代表, 8億7千万円)
10 ランパード (チェルシー, イングランド代表, 8億7千万円)
11 アンリ (バルセロナ, フランス代表, 8億7千万円)
12 シャビ (バルセロナ, スペイン代表, 8億7千万円)
13 ロナウジーニョ (ミラン, 元ブラジル代表, 8億7千万円)
14 ジェラード (リバプール, イングランド代表, 8億7千万円)
15 ダニエウ・アウベス (バルセロナ, ブラジル代表, 8億2千万円)
16 バラック (チェルシー, ドイツ代表, 7億5千万円)
17 ラウル (レアル・マドリード, 元スペイン代表, 7億5千万円)
18 R・ファーディナンド (マンチェスター・ユナイテッド, イングランド代表, 7億5千万円)
19 K・トゥーレ (マンチェスター・シティ, コートジボワール代表, 7億5千万円)
20 ルーニー (マンチェスター・ユナイテッド, イングランド代表, 7億円)
そうそうたるメンバーです。年俸だけで見ていくと、大体5億を超えると世界の一流選手の仲間入り、とも言えそうです。でも、昨日の記事でも書いたとおり、最初はみんなせいぜい数百万(例外があっても1千万前後)程度の契約でプロになるのですが、結果を出して認められれば数年で億を超えます。例えばイタリアのミランに所属するブラジル代表のアレシャンドレ・パトは、デビューも早かったのですが20歳ですでに2億円で契約してます。
このスピード出世の仕組みは、"チーム間の経済格差"と"その格差を利用した移籍"と大きく関係してきます。野球は"保有権"確保の意味で契約金を払うので、将来性の評価も含んだ額を選手がいただく分、各チーム各選手、移籍に対しては消極的(といってもFA制度などで自由度はそれほど低くありませんが)になりがちです。サッカーはその保有権をまるごと売ってくれという意味で、移籍元に対し移籍先が"移籍金"を支払います。契約の違約金としての意味もあるその移籍金の存在が、選手の年俸高騰につながっています。
例えば、年間運営資金10億円のクラブチームが、同じクラブ内のジュニアユースチームから育った16歳の選手と年俸500万円ボーナスなしで4年間のプロ契約をしたとします。選手はすくすくと育ちトップチームでも結果も出し、18歳のときに運営資金200億円のクラブから「移籍しないか」と声をかけられます。条件は、年俸5000万円+リーグ戦カップ戦出場90分毎にボーナス、チャンピオンズリーグでの1ゴールにつき500万円の4年契約、というものでした。選手は「こんなオファーをもらったんで移籍したい」と現在所属するクラブチームに伝えます。そのクラブチームの台所事情としては、その選手をそんな条件で雇い続けることはできません。そこで、オファーをくれたクラブチームと交渉し、その選手が残り2年間で今までと同様活躍する前提でその収入を保証するよう、移籍金を要求します。それがいい選手であればあるほど、肖像権や興行権、マーケティング面で価値があり、さらに違約金的要素を組み入れ数字に換算し請求します。移籍元のクラブチームは移籍金を例えば4億円と設定し交渉、移籍先のチームはそれを承諾し支払います。
運営資金10億円のクラブチームにとって、4億円は大金です。そのお金でまた別の選手を獲得することもできますし、クラブハウスを改修したりスタジアムの観客スタンドを大きくして、入場料収入を増やすことだって可能です。つまり、いい選手をしっかり育てれば、貧乏なクラブチームでもその対価でクラブを大きくしていくチャンスを得るのです。
それと少々余談ですが、"イケメン"であるほうが選手は高く売れます。特にサッカーでは顕著で、イケメン選手のほうが怪我さえなければ長く現役を続けるケースが多くあります。これは、肖像権取引が移籍の際に発生するからです。やはりクラブチームの"顔"になるかもしれない選手は男前のほうがいいですし、CMやグッズも売りやすくなります。その選手のトークが面白ければ広報的な役割も期待できます。かなりサッカーがうまかった元ブラジル代表のロナウジーニョですが、彼は技術は高く買われても肖像権は安かった、といううわさがあります。証拠というわけではないのですが、契約していたNIKEのCMでは、顔のアップより遠巻きの映像でリフティングやパス、シュートをしているシーンが多くあります。彼は今イタリアのミランに所属していますが、少々太ってしまったので肖像権はまた安くなったかもしれません。どうでもいい話ですが、彼は日本で有名な某巨大サイトで"イケメン"と呼ばれています。
時として運営資金の豊富なクラブであっても、チームとして欲しい選手ではあるが来てもらうにはいろいろと不安要素がある、というときには、移籍元に対し"レンタル"という手段を提案します。"怪我の多い選手"や"年寄りな選手"がその対象になりやすくなっています。レンタル移籍は、移籍元に対して移籍先がその選手の給料を肩代わりし"借りる"という契約です。移籍元のクラブチームがその選手に対し"契約を継続すべきか悩んでいる"ときには特に有効です。その選手の保有権は維持しつつ、さらに給料も払ってくれるのであればとりあえず損はしません。レンタル料の交渉がうまくいけば、逆に儲けることもできます。完全移籍のオプション(本契約の期間が満了と同時にレンタル期間を終了し、移籍金が発生しない移籍を行う)を付けるケースもあります。これは選手の契約が切れるまでレンタルしてくださいね、と約束することで、レンタル中に選手の素養を確認してもらったりチームに馴染むかなどを見定めていく、というもので、立場の微妙な選手の契約に付けられることが多くあります。
さて、また年俸の話に戻りますが、Jリーグの年俸はどうでしょう。
んー、安いほうですね。最高で1億5千万ぐらいです。「日刊スポーツグラフ2010年Jリーグプレーヤーズ名鑑」に掲載されておりますのでぜひそちらをご参考に。
(ホントは紹介しようと思っていたのですが、ここまでの話が長くなりすぎて断念、が正解)
2010/08/18 00:00:00
ちなみにヨーロッパのクラブナンバー1を決めるUEFAチャンピオンズリーグの優勝賞金は、プレミアリーグと同様に放映権料との天秤です。優勝賞金は毎年変動がありますが、去年は大体10億弱ぐらいですかね。でも、これに優勝して出場権を得られるさらに上位のFIFAクラブワールドカップの優勝賞金が5億円と思うと、なんとも不思議な気分です。世界最高峰の大会がもしかして余興?みたいな。
とりあえず賞金の話はこれぐらいにしときましょうか。他にもサッカーにはいろんな数字がありますし。ってことで、選手の年俸や契約に関するお話を。
まず、クラブチームと契約し給料をもらえるのがプロという定義なのですが、日本のプロ契約はその形態をABCと3パターン用意し、そのいずれかでクラブチームと契約した選手をプロと呼びます。全ての選手の最初のプロ契約はC契約で、年俸上限が480万円、ボーナス的なものは認められていません。クラブチーム主導ではなくJリーグとしてサラリーキャップを設けています。このC契約を3年間続けてはじめてB契約を結ぶことができますが、これはC契約にボーナスを認められた程度のものです。C契約の選手が指定された試合(J1リーグ戦や代表の試合など)で一定の出場時間に達すると、選手はA契約を結ぶことができます。これは最低年俸を480万円(初年度だけ700万円までのサラリーキャップ)とし、この契約で"一人前の(?)プロ選手"と認められます。
基本的にこのプロ契約は中学や高校に就学中でも締結可能です。もちろん本人にその意志があれば、ですが。中学生でデビューしたカターニャの森本貴幸や、ガンバ大阪の宇佐美貴史、浦和レッズの原口元気などが高校生でプロ契約しています。ちなみに森本や宇佐美は史上最速でA契約を結んでいます。
このように、いい選手はどんどん青田買いされます。野球の契約形態に慣れ親しんだ日本人には少々わかりにくいかもしれませんが、野球はプロの組織とアマチュアの組織が別のものなので、選手の"保有権"を確保する意味で契約金を支払います。サッカーはプロチームもアマチュアチームも同じ運営母体なので、例えば10歳でガンバ大阪のジュニアに入団した場合、保有権は基本的にガンバ大阪に託されます。そのままジュニアユース、ユースと昇格していけば、そのトップチームとの交渉が優先されます。
さらにトップチームが存在しないクラブ(高校や大学のサッカー部やアマチュアチームのみのクラブ、社会人クラブなど)に所属している選手は、お誘いがあればどこのクラブチームと契約交渉してもいいことになっています。なので、ドラフト会議はありません。韮崎高校の中田英寿や星稜高校の本田圭佑などがこれに当ります。中田は高校卒業時、Jリーグの11チームからオファーがあり、その中でベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)を選択し契約しました。もちろんJリーグだけではなく海外からオファーが届くことがあります。中京大中京高校卒業後フランス2部のグルノーブルと契約した伊藤翔(今シーズンから清水エスパルスに移籍)や、イタリアセリエBのブレシアと15歳で契約した古川頌久などがいます。(FIFAの規定で18歳未満の選手の海外での契約には様々な規定があるのですが、それをクリアして今年の春からイタリアに渡りました)
税金対策などの問題で国によって契約の手段や形態が違いますが、Jリーグは"業務委託契約"になります。"芝生の上で決して手を使わずに足でボールを蹴って、網で囲われた横長の四角にそのボールをなんとかして入れる仕事を3年やってください"という内容で委託契約される("サッカー"という言葉でまとめるでしょうけど)ようです。また、具体的にどう書かれているのかはわかりませんが、クラブよっては他にも、"よくわからないボランティア活動にも積極的に参加すること"、"サポーターにイヤな顔ひとつせずサインの要求には応えること"、"スタジアムから車で10分以内の場所に住むこと"なんて条項もあるそうです。海外の選手だと"リオのカーニバルのときは実家に帰らせていただきます"なんてのもあるようです。
前置きが長くなりましたが、って長すぎますが、次回こそお金の話を…
2010/08/17 00:00:00
さて、2日目はサッカーの母国、イングランドのプロサッカーについて。
「なぜサッカーでは"イギリス"ではなく"イングランド"って言うの?」と、やや上目遣いでしかも少し甘えた声で聞かれることがよくあります。イギリスは実は地方ごとにイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4つのサッカー協会があり、それぞれに独自のプロリーグを持ち、FIFA(国際サッカー連盟)に承認されています。(実際には植民地だった地域にもそれぞれサッカー協会があるので、大きい意味で言えばイギリス領には他にもいくつかのサッカー協会が存在しています)
これはFIFAが結成される以前に、すでに4協会がそれぞれ独自にルールの統一などを行い、サッカービジネスを成り立たせていたことが原因になっています。FIFAは基本的に1国1協会を原則ルールとしているので、4協会に対しぜひイギリス統一の協会として加盟を望んだところ、「併合する苦労を考えるなら引き続き独自にやっていく」と加盟を拒否しました。FIFAとしては、サッカーの母国イギリスの加盟なくしては世界的なサッカー連盟とは言えないと判断し、しぶしぶ4協会それぞれの加盟を認めた、というのがその経緯です。と、甘く低い声で教えてあげることがよくあります。
その4協会の中でも特に大規模なのが、イングランドサッカー協会"theFA"で、世界で最も人気のあるプレミアリーグというプロリーグを運営しています。(公式にはイングランドサッカー協会とプレミアリーグの関係は"パートナーシップ"となっていますが、事実上の運営母体です)
そのプレミアリーグですが、まずは昨シーズンのリーグ賞金を見てみましょう。(金額の単位はポンドです)
1 Chelsea - £16,000,000
2 Manchester United - £15,200,000
3 Arsenal - £14,400,000
4 Totenham Hotspur - £13,600,000
5 Manchester City - £12,800,000
6 Aston Villa - £12,000,000
7 Liverpool - £11,200,000
8 Everton - £10,400,000
9 Birmingham - £9,600,000
10 Blackburn - £8,800,000
11 Stoke - £8,000,000
12 Fulham - £7,200,000
13 Sunderland - £6,400,000
14 Bolton - £5,600,000
15 Wolves - £4,800,000
16 Wigan - £4,000,000
17 West Ham - £3,200,000
18 Burnley - £2,400,000
19 Hull - £1,600,000
20 Portsmouth - £800,000
優勝したチェルシーが獲得した賞金は日本円に換算して21億3314万円。Jリーグの10倍以上です。それに最下位のクラブチームにも約1億円の賞金が出ます。これが"プレミア"たる所以です。
プレミアリーグはリーグ自体が株式会社(ちなみに社長の名前はリチャード・スクダモアさん。Jリーグでいうチェアマンみたいなものです)として運営される興行組織です。そのため莫大な運営予算が組まれ、所属するクラブチームはリーグ運営を決定するための発言権や投票権を持ちます。もちろん、放映権や配信権に関する議題やその分配額や分配方法も組織内で決まります。
そしてこの放映権配信権が、各クラブチームの収入の大半を占めているというのも事実です。
プレミアリーグはそれぞれの放送局と"リーグとして"包括的にかつ独占的に放映権契約を結びます。海外向けの放映権は3年契約で契約金額は1338億円。イギリス国内向けの契約も3年契約で、Webやモバイルの配信権と併せて金額は2384億円。1年当り合計1240億円の収入が確定しており、それを20チームに均等に分配するので、プレミアリーグのクラブチームは年間62億円を受け取ることになります。
世界中に配信されるので妥当な金額のような気もしますが、これだけの金額になると本当に妥当なのかどうかはわかりません。でも買う人がいる以上妥当なんでしょうね。放映権料を上げる→世界中からいい選手を集められる→リーグ全体の人気が上がる、という図式になっているのは事実です。今のところこれは青天井ですが、将来的にはどうなることやら・・・
何にしても、世界のクラブチームで最も収益を上げているのはマンチェスター・ユナイテッドです。営業利益は100億円を超えます。これだけを考えてもやっぱりプレミアリーグは世界最高峰と言わざるを得ないですね。
あ。ちなみにJリーグもプレミアリーグと同じようなやり方で放映権販売をしています。今年のJリーグ各クラブチームへの分配金は2億から3億です。んー、プレミアリーグと比べるとなんともかわいい数字。
2010/08/16 00:00:00
今年は 2010 FIFA World Cup South Africa(TM) が開催されました。おかげでだいぶ世の中はサッカーで盛り上がり、サッカーの話ができる人がまた増えたように感じます。うれしい限りです。サッカーバカですいません。
そしてさらにサッカーの話ができる人を増やすべく、サッカーに関する小ネタを提供して行こうかと思います。といっても、何かコンセプト的なものがないと話の筋が伝わりにくいかと思いますので、わかりやすいお金の話でも絡めていこうかと思います。
まず第1回目は、最も身近なJリーグのお話。社内にJリーグのクラブチームを買収したいという人がいるので、自分のクラブチームが強くなって勝ち進んだら、一体どれぐらいの賞金がもらえるのかを見ていきましょう。
Jリーグに所属するクラブチームは、特別な事情がない限り基本的にリーグ戦(Jリーグ)、リーグカップ戦(ナビスコ杯)、オープントーナメント(天皇杯)の3つの大会にエントリーします。それぞれの賞金は以下の通りです。
■J1リーグ
1位:2億円
2位:1億円
3位:8000万円
4位:6000万円
5位:4000万円
6位:2000万円
7位:1000万円
■ナビスコ杯
1位:1億円
2位:5000万円
3位(2クラブ):2000万円
■天皇杯
1位:1億円
2位:5000万円
3位(2クラブ):2000万円
全ての大会で優勝すれば、総額4億円が手に入ります。これを"三冠"と言うのですが、過去に三冠を達成したのは実は鹿島アントラーズの1回だけで、4億円を手にするというのはそれだけ難しいということがわかります。Jリーグでは毎シーズン上位争いをするチームが3チームから5チームほどでてきます。とりあえず上位争いができれば、3つの大会トータルで1億から2億ぐらいの賞金は獲得できます。
ただ、ちょっと話は変わりますが、Jリーグには入会金や年会費というのが発生します。
□Jリーグの入会金と年会費
J1 入会金 6000万円 年会費 4000万円
J2 入会金 2000万円 年会費 2000万円
初めてJ2あるいはJ1に入るときのみ入会金は発生するのですが、年会費だけでもこれだけの金額をJリーグ機構に各クラブチームは払っています。つまり、仮にいきなりJ1に加入したクラブチームは、いきなり上位争いに食い込まないとこの費用は賞金では賄えない、ということになります。なんともムチャクチャな話のような気もします。
さらにJ1リーグ戦でチャンピオンになるか天皇杯で優勝すると、翌年のJリーグ開幕直前に開かれる「ゼロックススーパーカップ」の出場権を得ます。その賞金はこちらです。
■ゼロックススーパーカップ
1位:3000万円
2位:2000万円
オープン戦なので賞金は安めですが、これだけもらえればほぼ年会費の支払いにアテられます。また、条件によっては国内のみならず国際大会への出場権も得られます。ナビスコ杯に優勝したチームは、南米のスダメリカーナ杯の優勝者と対戦する「スルガ銀行チャンピオンシップ」というオープン戦の出場権を得ます。その賞金はこちらです。
■スルガ銀行チャンピオンシップ
1位:3000万円
2位:1000万円
今年はFC東京が見事優勝しています。ほっとしました。相手は南米のクラブチームなので、もし日本のチームが負けると"スルガ銀行がスポンサーとして出した賞金3000万を南米に持っていかれる"という事態になります。青森の住宅供給公社の経理担当がチリ人に貢いだみたいな話になるので、ぜひ日本勢に勝ってほしい大会です。
そして、J1リーグ1位から3位のクラブチームと天皇杯を優勝したチーム計4チーム(J1の1位から3位のクラブチームが天皇杯を優勝していた場合は、J1の4位のクラブチームが繰上げ)には、アジアサッカー連盟が主催する国際大会、「AFCチャンピオンズリーグ」への出場権が与えられます。その賞金はこちら。
■AFCチャンピオンズリーグ
(少々複雑なのでケース別。USドルを円に換算)
1位:2億5400万円 (+クラブワールドカップ出場賞金 1億円)
2位:1億7900万円
ベスト4:9600万円
ベスト8:8000万円
ベスト16:5400万円
グループリーグ敗退:3900万円
過去に浦和レッズ、ガンバ大阪などが優勝したことがあります。さらにさらに、ここで優勝すると世界大会である「FIFAクラブワールドカップ」への出場権が得られます。その賞金はこちら。
■FIFAクラブワールドカップ
1位:5億円
2位:4億円
3位:2億5000万円
4位:2億円
5位(2クラブ):1億円
7位:5000万円
ここまで来るともはや夢のまた夢ですね。いつかJリーグのクラブチームがヨーロッパの強豪をやっつけてくれることを願っています。
ここまで、もし全ての大会で優勝すると、なんと獲得賞金総額は 12億2千万円。さらにJリーグアウォーズ(Jリーグ年間表彰)でフェアプレー賞かなんかで表彰されればさらに500万円が入ります。ここまでくればJ1リーグの年会費なんて安いもんです。
でも実はこれ、大した金額じゃないんです。サッカーってのはすげーよ、って辺りのお話をまた次回。
2010/08/11 12:00:00
EWB話でちょっと脱線しました。電子書籍の話に入っていこうと思います。
実は1996年、PDFが日本語対応となったその年、A社では新作の文芸作品を期間限定ですが無料ダウンロード配布しています。私はこの案件には関与していませんでしたが、所属していた部署の同僚がps2pdfなどを調整してPDF出力に対応させていたようです。技術系の雑誌であれば早い時期から復刻版や総集編のPDFをCDに収録して添付というのはあったかもしれません。ですが文学作品としては、こういった配信は日本では初めてだったように思います。
今ではePUB、XMDF、T-Timeなどさまざまな形式が出てきていますが、当時としてはPDFがほぼ唯一の選択肢でした。それに、携帯電話やiPodといったリーダもまだなかった時代です(iアプリが1999年、iPodクラシックが2001年)。Windows CEやPalmなどのPDA向けの電子書籍が動いていた記憶もありますが、少なくとも身の回りで認識するほど利用者はいなかったように思います。
このPDFはWebページ上での配布がメインでしたが、まだネットやWebの普及も不十分で、CDにPDFリーダをつけて配布することもやっていたように思います。電子書籍として配布する手段・データ方式はあっても、ネットやPCの普及率に加えて一般の人が簡単に扱えるようなデバイスもないわけですから、即座にこれを電子書籍として収益を上げるのは無理だったでしょう。このPDF配布は、あくまで「本」を売るための宣伝といった意味合いが強かったと思います。
そういえばこの時期は音楽の分野においても、平沢進を初めとして、MP3を使ったダウンロード配信が盛んに行われていました。CD屋ではまったく見ることのないアーティストが積極的に自作を公開していて、私もそれらの楽曲をきっかけにしてインディーズ系のアーティストを聞くようになり、普通のCD屋で売っていないようなCDをアーティスト本人のWeb上で注文したりしていました。
その後、文庫本のシリーズが出来、TeXの仕事もそれなりにありましたが、しばらくすると徐々に書籍の仕事が減っていき、次第に私にはWebサーバやWebアプリケーションの構築を依頼されることが多くなってきました(このWebアプリケーション仕事が今の会社の仕事へとつながっていくわけですが、このあたりの話はまたいずれ…)
やがて1998年、本格的に出版社が統合、倒産するようになって、A社でも無料PDF配布は技術書の付録だけになり、電子書籍のような話は聞かれなくなってしまいました。まあ読者がPCユーザにしかいない状況で、有料の、しかも広告宣伝ではなく書籍そのものをデータとして売ろうというのは難しかったと思います。
2010/08/10 09:00:00
私のA社での仕事の中に、@kaheiさんが言及されていたEWB(エディターズワークベンチ)の保守がありました。
あのセッションの中で中身はTeXが動いていると書いていましたが、EWBはTeXとX Windowベースのさまざまなツールの組み合わせで動作しています。
EWBでは著者と編集者はTeXのマクロを覚える必要はありませんし、また著者の方も新たなソフトウェアを導入する必要はありません。使い慣れたテキストエディタやワープロソフトで文章のところどころにタグ(//i 見出し、//c 箇条書き、★強調★など)を入れて脱稿します。
編集者はそれを校正し、書籍のデザインにあわせて「1行何文字」「1段あたり何行」「1ページあたり何段」「目次、索引の出し方」「柱やノンブルのスタイル」などのパラメータを入力すると、EWBのツールがTeXのスタイルファイルを自動生成し、TeXに流し込んで組版されます。その出力をDVIビューアやプリンタで確認しながら、編集者は見映えを調整するタグを入れていき、校了となったら、面付けを行って写植機向けのDVI/PostScriptファイルか、あるいはPDFファイルに変換して最終的な出力を得ます。
あのころはまだNEC PC-9801とか平気で動いていた時代で、著者も編集者もみんなWindowsやMacintoshのようなトロくさいGUIを嫌い、漢字ROMを積んだテキスト端末でバリバリ編集して、EWBとビューアをXサーバ上で動かしてで確認するといった具合でした。
ただ、EWBはごく基本的なTeXスタイルファイルを作成することしかできず、著者や編集者の要望によってはTeXの複雑なマクロを書く必要があります。それが私の仕事でした。
念のため書いておきますが、EWBはA社をはじめ一部の出版社で使われているもので、特に標準的なものではありません。おそらくほとんどの出版社では、それぞれでテキスト原稿にマークアップする方法を決め、PostScriptを編集するソフトウェアに原稿を流し込み、マークアップを元に手作業で編集というやり方を取っているものと思います。ただ、そのようなソフトウェアのオペレータがどんなに頑張っても、1000ページを超えることもある技術書を編集するのは大変でしょう。
EWBのようにTeXベースの出版だとそういった編集の手間は省けますが、結局のところTeXの技術者を連れてこないといけないのが難点かもしれません。でも理系の大学生なら論文でTeXを使ったりするので、そのあたりから人手を探すのがいいでしょうね。私も大学でのアルバイトでTeX仕事に就いたクチだったりしますから。
2010/08/09 14:00:00
ついこの間、LL Tigerというコンピュータ言語のイベントに行ってきました。
まあこのブログを読んでいる方の中でも参加された方もいらっしゃると思います。
LL(Lightweight Language)は毎年日本UNIXユーザ会が主体、大手技術出版社が協賛として、インタプリタ型・動的実行のプログラミング言語の作者・ユーザが集まるイベントです。もちろん題目は真面目で、毎年必ずあるのはLanguage Updateという、各プログラミング言語はどういう動向で、どういった拡張を行ってきたかなどを報告するセッションです。多くの開発者は、仕事で使う以外の言語についてなかなか本格的に調べる暇もありませんが、それでも現状に妥協せず、プログラミングスキルの向上や改善を求めて、他の言語の動向やプログラミング言語全体の傾向にも興味を持って聞きに来ていることと思います。
ですが、それだけでは退屈なイベントになってしまうでしょう。毎年多くのプログラマを集めて、午前9時から午後8時までの長丁場を飽きさせない秘密‥‥それは、LT(ライトニングトーク)合戦、各言語を代表するプログラマどうしの対決、LLの枠にとどまらずCやJavaなどの話題も盛り込んだり、興味深いハードウェア専門家の話に聞き入り、あるいはデスマーチや不条理なプログラミング規約を押し付けられる状況を笑い飛ばすギャグ、ギークなガジェットやパフォーマンス、そして最後の書籍の抽選(在庫処分?)ボール投げ大会などなど‥‥プログラミングとは直接関係なくても、開発に携わっている人なら分かり合える笑いや楽しみを巧みに織り交ぜて、エンタテインメントとして構成しているのがこのイベントのすごいところです。
さて、今年はその中でも異色のセッションとして、流行の電子書籍に関する話題のセッションがありました。もちろんこれは昨今の電子書籍デバイス、Kindle、NOOK、そしてiPadといった外国勢のデバイスや、Googleブックスのような包括的なライセンス契約に対する出版業界の動きに呼応したものと思います。
「出版」と「ソフトウェア開発」。いちおう別の分野ではありますが、電子書籍として発行するには、データフォーマットやリーダの開発が必要となりますし、当然ですが、コンテンツ管理に関するソフトウェアであれば出版物の配信・管理にも密接に関連します。また技術者自身にとっても、技術書がもっと簡単に手に入り、目的のページがすぐ探し出せるというのは重要なことですし、イベントの参加者の大半には興味深いテーマだったと思います。
日本の出版業界のシステムはとても保護主義的だと考えられていますが、この不況の中でもまったく動きがなかったわけではなく、何度も電子書籍への取り組みが行われてきました。ただ、そのほとんどは一部のユーザが手にしただけで、確立された市場を形成することなく消えていきました。しかし今回の電子書籍の流れは、実際すでにそれなりのユーザ数がデバイスを手にしている状況ですので、結果が変わる可能性もあるでしょう。利益の出しづらい出版業界の状況は今後も変わらないかもしれませんが、それでも広告や宣伝、局所的な読者の興味まで拾い上げて書籍の形にするなど、何にでも結びつけて商売にしていく試みは続いていくものと思います。
* * *
さて、社員ブログ1周目のときにも書いたと思いますが、今ではプログラマを仕事としている自分は、実は1996~1997年の間、そのLL Tigerのセッションで出版業界の内情をブチまけて反響を呼んでいた@kaheiさんの会社の前身であるA社に勤めていたことがあり、その後も1999年に今の会社に移るまで技術書の出版業界で働いていました。そういう意味でも、このセッションはとても印象深いものだったわけです。
2010/08/06 00:00:00
最終回となりました。
%
ここまでいろいろと書き綴ってきたが、書きなれないせいかお恥ずかしい文書の数々
を世間の皆様へ発信してきた。
Mixiはじめ多くのブログサービスを利用して、日々コミュニケーションを図って
いる方々には改めて関心させられる。
特に芸能人ブログはプライベートが垣間見れることが人気であるし、一般の方でも
内容によっては高い人気を誇っているブログもあると聞く。
どちらにせよ、みんなに楽しく読んでもらうことでが書き手のモチベーションを維持
していると思われる。
やはり文書を書くことが苦手な私のような人間にとっては、情報やメッセージを発信
する手段として気軽に書き込める、今流行のTwitterが合っているように思う
そう考えるとTeitterの作者はブログ嫌い?
どちらにせよ今度挑戦してみることとしよう。
%%
今書き終えて正直ホッとしている。
5回に渡りお付き合い頂きありがとうございました。
2010/08/05 00:00:00
次回予告「・・・」
%
と書いたものの何を書くか迷った挙句、これまでの流れに沿ってバブル崩壊以降の
業界についてを書いてみようと思う。
%
バブル真っ盛りの頃はプログラムが書けるだけで引き抜かれる程の時期があり、
”でもしか”プログラマが多く生まれ、転職雑誌のプログラマー募集欄は大盛況だ
った。
時は移り、バブルが弾け業界全体が沈み込み、技術者も業界から去り、不毛の時期
に登場したのが”WWW”がもたらしたネットバブルである。
国内外で多くのベンチャー企業が生まれ、日本では”ヒルズ族”等の流行語が生まれ
るなど、業界のみならず一般人を巻き込み、今では生活の一部となっている。
%
また、技術革新にも目覚ましいものがあり、日進月歩で進んでいるように思うが、
悲しいかなそれらの多くは海外から伝わってきたものが多く、日本発のテクノロジー
が少ないように思う。
そういえば、オープンソース技術もこの頃から大手メーカー様や企業様定着していっ
たような気がする。
私が知らないだけかも知れないが、”Sony”や”Nitendo”のようなブラ
ンド力を持った日本発のネットベンチャー企業なりサービスが生まれてくることを
期待しつつ、今日はここまで。
2010/08/04 00:00:00
さて、今回は趣味のパチンコ・パチスロの話を。
ご存知の方も多いと思いますが、パチンコ・パチスロも立派な制御プログラムの塊で
出来ている。
特にスロットの場合、リール制御にはそれなりのノーハウと物理学の知識が必要で、
これがうまくいかないと、悪い連中(通称”ゴト師”)に攻略されて損害賠償にまで
発展しかねないので、メーカーでは非常に気を使っている。
例えば、リールは大型のステップモータで動かしているので、ステップモータ制御
(始動、加速、等速、減速、停止)を法律の範囲内で制御する必要があり、誰でも出
来るものではない。
また、昔と違い、エンターテーメント性を持たせる為、液晶を使った演出にも凝って
おり、ゲームメーカーとのタイアップも欠かせない状況である。
大当たりに関しては完全確立が法律で義務付けられているので、意図的に大当たりを発生させる事が出来ず、ここでもメーカー技術者が汗と涙によって乱数を生成させる
ことで遊戯台の性格を作り出し、私たちユーザを楽しませてくれている。
一報ハードウェアに目を向けると、LETEC製V4チップという、CPUとRON,RAM+セキュ
リティーチップがオールインワンでコンポーネットされたLSIが主流となっている。
これは、Z80+ROM+RAMの組合わせが主流であった当時、あまりに悪い事をする連中に改造され多くの被害をもたらした為の窮余の策です。
Webシステム華やかなソフト業界だが、一方では地味に人知れず遊技機のプログラム
開発に携わっている方がいることも知って欲しい。
次回予告「・・・」
2010/08/03 00:00:00
今回は、業界に足を踏み入れた当時の話を。
ビジネス業界のパソコンと言えば、PC98シリーズが圧倒的なシェアを誇っており、国内ではビジネス標準であった。
OSや開発環境も今ほど多種多様ではなかったので、一度覚えてしまえば同様の技術で飯が食えた時代であったように思う。
私が業界へ転職して1年程経ったころ、当時のアスキー社の方から新しいテクノロジーの面白いソフトウェアーがあるので見に来ないかと誘われて目にしたのが、今では世界シェア1位のクライアントOS「MS-Windows」であった。
当時はアルファ版で、オーバーラップすることも出来ない完成品には程遠いものであったがビジュアルインターフェースやマルチウィンドウに惹きつけられたのを覚えている。
それから間もなく、新開発のMS-Windows搭載PCのプロトタイプをビジネスショーに出品するので、画像処理アプリのデモソフトを作って欲しいとの依頼があり、C言語の習得やWindowsプログラミングの習得等、当時のリーダ含め5人で苦労したのを覚えている。
今では懐かしい思い出であり、おそらく日本でも5本の指に入るWindowsプログラマであったと、当時はプチ自慢していたはずなのに、MS-DOSに代わって標準OSになるとは思いもしなかった。
次回は趣味のお話を。
2010/08/02 00:00:00
こんにちは。今日からブログを担当させて頂きます。
昔であれば日記、現代風にはブログ、日々の思いや記録を綴った経験がないので、どうしたものかと思いを巡らした結果、思い出ブログとしてみたいと思う。
%
さて、第一日目はと申しますと、やはりパソコンとの出会いから。
確か22、23歳の頃、富士通から販売されていたFM7が最初の出会いであり、業界へ転職するきっかけになったと記憶している。
なぜ、FM7か。
一言で言うなら、富士通の知人に、素人の私が見事に丸め込まれただけである。
当時はPC80やPC88シリーズが先行し人気も高く、個人的にはそちらを購入する予定であったが、素人ゆえにくだんのプロへ相談したが運のつきで“アークテクチャーが斬新で・・・”や“価格が安く・・・”等々の技術論とセールストークに購入を決めてしまった次第である。結果は感謝である。
一方PC業界へ目を転じると、当時はASCII社や日本ソフトバンク社がベンチャーの雄として活躍しており、「月間アスキー」やシリーズ毎に発行されていた「Oh!PC」「Oh!FM」の出版やソフトウェアーの流通を行っていた。
私も、それらの雑誌が教科書であり先生でもあった。
今では考えられないことだが、当初外部記憶装置を持っていないため、とにかく、雑誌に掲載されたプログラム(機械語)を打ち込んでは実行し、一箇所でも打ち間違っていれば暴走、また、最初から打ち込むことを繰り返し、正常に動いた時の感動は今でも覚えている。
ある時、PC用カセットテープレコーダとゲームソフト2本を譲り受け、初めて“打ち込まない”ソフトウェアーに感動しつつ夢中になったが、ローディングに10分を要し、ゲームオーバで再度ローディングといったイライラ感は懐かしい思い出である。
そんな自分が業界へ転職することとなるとは。
続きは次回へ。