電脳春秋 – 〈第 2 回〉 オーディオカセットでのソフト販売開始


電脳春秋

執筆:H.F

〈第 2 回〉 オーディオカセットでのソフト販売開始

昔の雑誌は今と違い、延々とプログラムが印刷されていて、雑誌を購入した読者は延々とプログラムを入力し、入力ミスを直してちゃんと動くようになってから遊んだ。でも、それでは大変だということで、優れたプログラムの場合、プログラムの記録されたソノシートが雑誌の間にはさんで売られていて、読者はレコードプレイヤーで再生しながらマイコンに読み込んだのである。最初の BASIC はそのようにして普及した。

当時、業務用コンピュータのプログラムやデータなどは、磁気テープに記録されていた。コンピュータというと、どういう訳か磁気テープ装置の中でテープが回っている映像がよく使われていた。まだまだ紙テープも活躍していた時代である。

マイコンマニアは、プログラムやデータを記憶するのに、業務用のテープや装置はサイズも大きくとても使えないので、普通のオーディオカセットテープを使っていた。録音再生には、普通のカセットプレイヤーを使っていたが、録音時に自動的に録音レベルを調整してくれるお節介な機能があって、録音したものが同じマイコンですら読み込みに失敗することもあった。いろいろなテープレコーダを試したり、テープデッキを使ったり、苦労して録音再生技術を磨いたものである。

出版社にいたので、そのようにして録音されたカセットテープが次々と送られてきた。それらを再生しては、動作確認、評価をしたが、カセットプレーヤーのメーカーによって録音に癖があり、慣れて来るとピーピーガーガーの音を聞いただけで、どこのメーカーのプレイヤーで再生するとうまく読み込めるかも即座に分かるようになったが、今やまったく役に立たない技術である。

このようにして、マニアが作ったプログラムは、仲間うちではコピーしては渡していた。幸い私は出版社にいたので、あまり苦労しなくてもプログラムを集めることができたが、読者の中から、印刷されたプログラムをキー入力するのは大変なので、有料でいいから売って欲しいという声が上がってきた。

マイコンのソフトウェアは、非常に高価なプログラム開発用はメーカーや商社が販売していたが、マイコンのソフト販売はどこも始めていなかった。どうなるかさっぱり分からないし、出版社の名前でそのままやるのは恐いということで、別会社を作ることになった。 35 万円で株式会社を作れた時代である。だれもやったことのない、マイコンソフトの販売会社を作るということで、多くの人は話を聞いてもそれで終るという時代に、何も考えず、つい発起人として名を連ねてしまった。これがパソコンソフト業界の起源になるとは夢にも思わず。

そして、最初に販売したのが、 TK – 80 用の 『 平安京エイリアン 』 というゲームである。定価 3500 円だったと思うが、もう記憶が定かでない。雑誌媒体を持っていたので、そちらに記事として紹介しては、そのソフトを売るというビジネスモデルで開始した。どれだけ売れるかも分からないので、カセットケースに同梱する説明書のために、プリントゴッコを最初は使っていたが、その後不要になり、自宅に勝手に持ち帰り、年賀状印刷に長らく使っていた。

先日、秋葉原再開発の会合に出席したら、昔カセットテープを売っていましたという大型パソコンショップの取締役がいて、びっくりしたのであった。