電脳春秋 – 〈第 23 回〉 20 年前のフルカラー装置は超大型冷蔵庫並


電脳春秋

執筆:H.F

〈第 23 回〉 20 年前のフルカラー装置は超大型冷蔵庫並

プログラム開発、ドキュメント作成、メールなどにしかパソコンを利用していないので、最近のパソコンのグラフィック表示を司るビデオボードは非常に高性能過ぎて宝の持ち腐れになるので使わなくなった。ビデオボードに 64 メガバイトもメモりが塔載されていると、高度なグラフィック処理をしていないときには余っているメモりを利用して難しい計算をしなくてはもったいないと思ってしまうのは貧乏性だろうか。

今から 20 年以上前、ある研究所でフルカラーの画像処理装置の開発を手伝ったことがある。赤緑青の各色が 256 階調、さらに赤外線も同様に 256 階調であった。画像表示装置卓があり、その大きさは机 2 つ並べた感じで、一方の机の前には文字が出るだけのターミナルがあり、そこから画像表示装置を制御できた。

当時、フルカラーの画像を綺麗に表示することは大変な高度技術で、 512 x 512 ドットの最新鋭のブラウン管がもう一方の机に鎮座していた。奥行きは、 1 メートルはあったように記憶している。画像は、今から考えてみるととても荒い画面だが、初めて見たときは感激した。まだパソコンでカラー表示ができなかった頃である。

この画面に、様々なテストパターンを表示したり、人工衛生で撮影した地球の映像を写したりした。当時でも、衛星写真は 4096 x 4096 の大きな画像であり、部分を表示したり、縮小表示するしかなかった。画像処理を高速に行うための特別な装置が組込まれており、画像処理だけに限れば、当時の大型計算機よりも遥かに高速であった。当時は、このような画像が表示できるだけで先端的な研究であった。

512 x 512 のカラー画像を 2 枚分記憶するために 2 メガバイトのメモリが用意されていて、幅 4 メートル、高さ 2 メートルくらいの巨大な箱に収納され、研究室の一遇を占拠していた。これだけメモりがあると、冷却するのが大変で、風を送るファンの音もうるさかった。

この巨大なメモリ装置の裏に回って中を覗いたことがあるが、あまりの凄さにびっくりしてしまった。小さなメモリ数十個が 1 枚の板にまとめられ、その板が箱の中に整然と詰め込まれ、その間をびっしり配線されていたのだが、配線が半端ではなかった。非常に規則的で、線だけでぶ厚い編物になっていた。

作業中に、画面の一部の色が急に変ったことがある。自分のプログラムのミスかと思ったら、メモリ IC が壊れて正常に色が出なくなったのであった。こうなると、編物の中の壊れた IC を交換することになるのだが、これだけ巨大で複雑な編物の保守のためだけに専任技術者が装置についていた。

この装置、画像処理装置の草分け的な装置で、電子立国日本を目指した超 LSI の国家プロジェクトとほぼ平行して行われてたパターン認識の国家プロジェクトの一部であった。最後に、池袋のサンシャイン 60 に持ち込んで、日本の大手メーカー各社のパターン認識関係の装置がネットワークで結ばれる姿が見られる筈だったのだが、私が出入りしている間にはそこまでは実現されず、フロアはがら空のままだったので、サンシャイン 60 からぽかんと東京の街を見下ろすだけで終ってしまった。