電脳春秋 – 〈第 30 回〉  メーリングリストが会社創業期の成長を支えた


電脳春秋

執筆:H.F

〈第 30 回〉  メーリングリストが会社創業期の成長を支えた

1995 年にホームページはどのようなものか確認するために自分でオープンし、さまざまな実験をした。情報を発信しながら、新技術をインターネット上で実際に使い、検証した。出版社にいたり執筆もした経験が災いし、本の内容を素直に信じることができず、とにかく自分の目で確認したかった。確認範囲は技術的なことだけではなく、どのような書き方をするとどう人々は反応するかも調べた。ちょっと厳しい批評的な文も載せ、事勿れ主義の日本では受け入れ難いことも書くことで、インターネット上での人間行動も調べることができた。

しばらくして、仲間がメーリングリストの運用を開始したので、どのようなものか確認するために、 「初心者メーリングリスト」を主宰した。初心者といっても、パソコンの組立てはもちろん、とりあえず博士号を複数持っている人とか、似非初心者が非常にたくさん集まり、コンピュータ関係の質問ならば的確な解答が極めて短時間に得られる状態になった。

オフ会では、普通の名刺ではなく、自作の透明名刺を交換した。この習慣は、日本物理学会で OHP に透明名刺を置いて自己紹介をした人を見習ったもので、メーリングリスト関係者の間で瞬く間に広がった。今では透明名刺作成をビジネスにしている企業がいくつもあるようだ。こんなに広まるのだったら、パテントを仲間内で取得しておくのだった。

このメーリングリストでは、中古パソコン部品の交換やプレゼントが非常に盛んであった。年季の入った部品が多く、説明書もなく、初心者では手が出せないような得体の知れない部品もあった。オフ会では、そのようなゴミとして処理されるような部品をもらい、何台もパソコンを組み立てた。当社の初期のパソコンは、そのような部品を組合せたものも多く、会社の初代 WEB サーバーもそうである。

このようなパソコン作りは、現在では手間の方がはるかにかかり、会社としてはコスト削減どころか、コストとリスクの増加になるので、今はさすがにそのようなことはしていない。でも、そのようなサーバーから発信していた当社のホームページの求人情報を見て集まった人々が、今も様々な仕事をしている。メーリングリストは、創業時の強力な支えにもなった。

マイコン、パソコン、 Unix 、インターネットと順にやってきたが、当初は誰にも認めらないどころか、必死で止めるように説教する人々が多かった。それなのに、振り返ってみると王道を順調に歩んできたことになっている。これは、周囲に同調できない、止められればますます試したくなる悪い性格が招いた結果である。

インターネット技術はこの 10 年でずいぶん進歩したが、利用に関してはまだ黎明期に過ぎない。日本は随分進んでいると思いこんでいる人が多いが、実際にホームページの世界ランキングを調べられる Alexa を使ってみると、日本はインターネットでの相対的地位が低いことが明白になる。

日本が世界に誇るべきもの、そして世界が日本に欲しているものは、明らかに日本文化の情報発信である。インターネットの利用も、技術の次にくるビジネス利用、さらに世界が強い関心を持っている日本文化への利用まで進んで欲しい。漫画、ゲーム、コミケが日本を代表する文化というと顔をしかめる石頭も多いと思うが、そういうところが外貨を稼いでいるのが現状だ。

電脳春秋は、この第 30 回で終了とし、過去の思い出話ではなく、別の視点からの連載を再開したいと思っている。なお、個人のホームページは忙しさのため更新が滞っているが、それでも Google で 「藤原」で検索すると、藤原紀香を抑えて首位になることが未だに多い。なぜ抜いてくれないのだ。日本人、日本の組織は、もっともっと情報発信を考えるべきだと思う。