電脳春秋 – 〈第 4 回〉 第 1 次パソコンブームで 1 人当たり 3 億円の売上を達成


電脳春秋

執筆:H.F

〈第 4 回〉 第 1 次パソコンブームで 1 人当たり 3 億円の売上を達成

1982 年頃から、第 1 次パソコンブームが始まった。パソコンといっても、まだ 8 ビットパソコンで、 NEC の PC – 8001 から PC – 8801 へ移行しつつある時期であった。ソフトウェアの供給はまだカセットテープが中心で、フロッピーでの供給はまだ困難な時代であった。

ちょうどその頃、運が良いのか悪いのか、第 1 次パソコンブームの火をつける中心的立場になった出版社グループの 1 つに席を置いていた。ブームに火がつくまでは仕事が少なくて、受託開発とかメーカーの下請けなどもやっていて、自分でもあちこちの仕事をしていた。

しかし、ブームに火がつくと、とても受託をしている場合ではなくなった。カセットテープがどんどん売れるようになり、社内での製造では間に合わなくなり、カセットテープのダビング会社に外注してした。それでもまだパソコン人口は非常に少なく、実際に記事を書いたり、開発できる人となると、マニアとか、学生が中心であった。

出版社では、全国から、こんなプログラムを作ったといっては、カセットテープが送られてきて、そういう郵便物の量が毎日段ボール一杯分くらい郵便局から届くようになった。すばらしいプログラムもあるが、マニア、アマチュアの作ったプログラムなので、ピンからキリまで差が甚だしいが、とにかくチェックしなければならない。良ければ記事として採用し、さらにソフトをカセットテープで販売した。しかし、そのままでは無理なことが多く、制作者と連絡をとりながら修正することが多かった。

新たな月刊誌を創刊し、毎週のように単行本を世に出している間に、ソフトバンクもできた。とにかく第 1 次パソコンブームは、それまでマニアだけの世界と思われていたパソコンが最初に世間に認められた時期である。おかげで、やるべきことは急に増え、売上もどんどん増えた。次から次へと部屋を借り増しし、人の採用が忙しくなった。ブームに乗りたいという願望を夢見ている人が世の中には多いようだが、急にブームがやってくると大変である。何時間働いても、仕事が増えるスピードの方が激しくなる上に、極度の人材不足である。

そうしているうちに、利益も上がり、何千万円もするコンピュータを利益の一部で購入し、とりあえず何に使えるか、当時としてはまだまだ利用者が極端に少ない Unix や C 言語を使ってソフト開発に利用したり、通信の実験などを始めた。設備が少しずつではあるが充実しはじめ、いままで金がなくてさっぱりできなかった実験ができるようになったのは大変良かった。誰かに出してもらった金ではなく、自分達の売上の一部で購入したのだから、肩身も狭くない。

これだけ業績が上がってしまうと、日経ビジネスの企業ランキングでわざわざ取り上げてくれた。カセットテープ販売の方は、納税額が一人当たり 3500 万円を越えた。売上は、一人当たり 3 億円にもなり、アルバイト学生でも 1 億円を超える仕事をした人もいた。数字の上では、国内で断トツの優良企業になってしまった。

しかし、これが原因で、成長どころか、どんどん問題が発生し、どんどん人はいなくなり、私もそのうち姿を消したのである。会社経営とは難しいものである。