電脳春秋 – 〈第 9 回〉 勤勉に学習するよりも、横着する努力が大切


電脳春秋

執筆:H.F

〈第 9 回〉 勤勉に学習するよりも、横着する努力が大切

プログラムを作ってみたい、将来はコンピュータ技術者になりたいという相談を受けることが昔から非常に多い。コンピュータやインターネットの世界で働きたいらしい。そして、そういう世界で働くには、何を勉強し、どんな能力が要求されるか知りたいのである。

しかし、この質問は簡単ではない。コンピュータの世界といっても、実際非常に幅が広い。コンピュータは元々事務計算の自動化を目的として発達してきており、いまでも事務的な利用が非常に多い。ネットショッピングサイト開発では事務的なプログラム開発がほとんどであり、決済、在庫、物流などの知識こそ重要だ。つまり、工学部あたりではなく、商学部などで教える知識が必要になる。

もちろん、コンピュータグラフィックス、暗号システム、ロボットとか、極めて高度にコンピュータやプログラムの理解が必要な分野もある。新たなコンピュータや、新 OS を開発するとなると、なおさらである。これらの分野に進むには、どんどん勝手に勉強してしまうことが必要で、人に意見を求めるようでは失格である。

コンピュータはあらゆる社会活動と関わりがあり、用途も千差万別である。その中のどのあたりを希望するのかがわからないと、何とも答えようがない。相手が考えていることがわかり、適切な指示ができても、実はその後がもっと大変なのである。

熱心にコンピュータを勉強して、十分な知識を身につければ、それだけで仕事ができるようになることは少ない。いや、熱心にコンピュータを勉強すればするほど、変になってしまうことが少なくない。コンピュータに関する膨大な知識があるけれども、ちっとも使えない人というのは、残念ながら実に多い。その反面、一方で、たいして知識もない人が、コンピュータの世界でちゃんと仕事をしている。

コンピュータの仕事は、決してコンピュータだけが相手ではない。最終的には人間の活動を助けるためであり、それがわかっていないと、コンピュータ技術的には優れているが、「誰が使うんだろう、誰が使いこなせるんだろう」という代物ができる。開発した本人は自己満足する反面、利用者はなんて使いにくいと思ってしまう。コンピュータやインターネットの仕事で必要なのは人間学である。コンピュータを使わなくても解決できる場合も多い。

もうひとつ困るのは、非常な努力家である。コンピュータ処理には、人間なら面倒でやる気がなくなるような同じことの繰り返しが頻繁にある。しかし、ある処理を 100 回繰り返す場合、まったく同じことを 100 回書いてしまうプログラマがいる。プログラムを見ると、同じパターンがきれいに延々と続いて美しい。同じことを何度も機械的に繰り返すのが嫌でプログラムを作っているはずなのに、延々と自分が単細胞機械になりきって、同じことを延々と繰り返しているプログラムを見ると寒気がする。

プログラム作りでは、いかに横着をするかが重要で、横着をするためにどうすればよいかに努力しているのに、延々と汗水たらして同じことを何度も書いているプログラムに遭遇することがある。こういうプログラムを書く人はプログラマに不向きで、一日も早く職業変えした方がよいと思う。本人のためでもあり、周囲の尻拭いさせられる人々のためにも、そう思う。